iade東京クラス千です。
フォーカスは「モグラのようにより深く」です。
●リラックスと五感の記憶
今日は右肩甲骨周辺が硬かったのでリラックスと五感の記憶を分けて行いました。
硬さを払拭するイメージでリラックス。
五感の記憶は「酔い」を行いました。
グリーンバックの現場が増えてきたこの世の中、グリーンバックでなくても役者の五感の記憶で表現しないといけない瞬間は何だろう?と考えた結果「痛み」と「酔い」でした。
お酒を飲むシーンでも美術部として用意されるのはそれに類似してみえるものである。
赤ワインならグレープジュースだったりします。
ということはそのジュースをアルコールが入っていると思って酔わなければならない。
また、「痛み」に関しても同じです。実際に痛みを追わせるわけにはいきません。
怪我をした部位の痛みを五感で感じ表現しなければならない。
逆にコーヒーや食べ物に関しては映像世界の場合実際に用意される。
温かいものは映像としても湯気を映したいことがあるので、温かいまま出されることの方が確立的に高い。(勿論絶対ではない。湯気を気にしない場合は準備時間の関係で冷めてしまったまま、温かいものだと思って食さなければいけない時もある)
「酔い」は、自分の体質や飲み方によって酔い方が変わる。
テンションがハイになって楽しくなっているとき。
飲みすぎたり、体質が合わなかったりして車酔いしたときのように気持ち悪くなったり。
一人で静かにお酒を楽しんでいたり…。
そして次にきたのが睡魔。眠くなり立ってられず横になるのだが、ふと起きたいと思う瞬間があったので、体をおこしてみる。
すると、実際に頭が痛くなったのだ。(きっと頭の位置の高低差が関係しているかと思うが)
その痛みを上手く「二日酔いの頭痛」と結び付け五感の記憶に利用してみる。
私は二日酔いになったことがないので二日酔いの頭痛をしらないのだが、「あ~これかも」と思える感覚を得た気がします。
●レペティション
相手が変われば相手へ伝え方が変わる。
そしてきっと相手の状況が変われば今後も対応の仕方も変わるのだと思う。
それは日頃の人とのコミュニケーションと同じだ。
エクササイズでは「それでいいんだよ。」と何でも受け入れる気持ちになる相手もいれば、怒りが溢れる相手のときもあった。
先生からサゼッションを受けるときに、怒りを体で散らしやすいからワードに込めてなげることを意識したと伝えたが、夜振り返っていたとき「いや・・・これは終わったあとに何かしら自分の行動に意味や理由を付けたくて発した言葉なのかもしれない」と思い始めました。
やっている間は、体で散らしているのを控えようとか思っていなかった。
ただ怒っていることを伝えたい、伝わってほしいという想いだけをワードに集約して発していたのだ。
ただ自分の気持ちを伝えていただけだった。
それが伝わらなくて、伝わっていても、見ようとしない相手をみて腹が煮えくり返ったのを数十秒だけ感じたのを覚えている。
その瞬間がきっと一番強かったと思う。
私が怒りを伝えていたとき、相手の顔は震えて怒っていた。
震えるほど怒っているのか?と思ったがその怒りを手をグーにして「怒っているの!」と言わんばかりに付け足した表現を時折みせる。
それを私はサゼッションのときに「手をグーにして表現するのが付け足したように意識的にしているように感じた。震えている顔も本当に怒っているのか?と疑問に思えた」と伝えたが、そのあとの先生のサゼッションや相手のその瞬間の話を聞くと…
手をグーにして表現したときは、真実の表現ではなかったが、顔の震えは本人も覚えておらず、先生も本当の怒りだっただろうとのこと。
それを聞いてきっと私は、手をグーにして怒っている付け足した表現が邪魔して震えている顔ですらも「付け足した表現なのでは?」と引っ張られてしまっていたのだと思う。
やっている間は震えるほど怒っているのだと感じた瞬間があったが、付け足した表現があることでその前に起きた顔の震えと言う表現でさえも「ウソではないか?」と考えてしまったというわけだ。
人とのコミュニケーションと同じですね。
一度裏切られたからまた裏切られるかも?と思う時もあれば一度信用できたから、今後も信用できる人かもしれないと前の自分との関係性がこの先にも影響する。信用してもらうには時間がかかるが、信用を失うことはとても早く一瞬なんだなと思いました。
さて少し戻るが、なぜ私が「自分の行動に意味や理由を付けてしまったのか」ここは今後じっくり見ていく課題の部分なきがしております。
●支配と抵抗
①抵抗
目的「一度も会ったことのない母親に5分後会えるからこの場所に居なければならない」
このときに見えた課題としては、相手の台詞で引っ掛かったワードが何なのか伝えないと観客が引っかかるときがあるということ。
(勿論台詞が全てではない。)
例えば、「お父さんが癌なんだ」と言われれば通常だったら「何癌?」ってなるだろう。けどそのときの私はそうならなかった。「癌」というワードが強烈過ぎて、癌の部位なんて興味なかったのだ、胃がんだろうが、皮膚がんだろうが大腸がんだろうが「癌」ってだけでお父さんの命が危ないということがわかる。ただそのワードに自分がショックを受けていることが体の表現だけでは伝わっていなかった。「癌」というワードに混乱していたり、何度も「え・・・癌?ん?癌って?」のように声に出したり、すると「この子は癌ということにショックを受けている」ということが伝わったのかもしれない。
また、相手の「お父さんが危篤」という言葉にもその瞬間引っ掛からなかったとしたら、何故引っ掛からなかったのか?
あの時は、相手のダメダメさへの怒りの方が勝っていた。それを溜息という動作で落ち着かせていた。それは勿体ない。その怒りを落ち着かせようとしながらも表現として出すことで、「危篤」と言う言葉に引っかからなった理由が観客に伝わる。その怒りを出し切ったあとに危篤であるお父さんに戻ることも可笑しくもない。その相手への怒りも、相手だけではなく、今思えばきっと危篤のお父さんに対して何もできない自分への怒りも入っていたし、殺人を犯してしまったお母さんにも会いたいという子供ながらの自分の気持ちも優先したいという自分勝手な自分への怒りも入っていたと思う。
それだけカラフルな感情を・・葛藤を・・・もっと表現できただろう。
②抵抗
目的「15時まで家にいなければ五感を失ってしまう」
相手が妹で相手の命と引き換えに自分は五感を差し出したという今の月9の脚本を借りて挑んでみた。
どれだけ五感が大切で、五感があるから人と繋がることができるかを自分なりに理解しているからとても身体にききました。
ただ相手の目的と自分の目的が上手く組み立てられなかった部分があり、葛藤があまり生まれなかった。
相手はここから逃げないと永遠に私が監禁されてしまうと言ってくるが、自分からしたら五感を失ったら死んだのと同じなので、監禁されても一緒だと思っていた。だからあまり大きな葛藤は生まれなかった。
もっとこのシーンや自分の感情を立体的にするならば、五感を失ってしまう哀しみだけでなく恐怖があればよかったのかなと・・・
全く0ではないが・・もう少し必要なのかな?と
後は両方に言えることだがキャラクターをどんどん入れて行こうかなと思う。相手のキャラクターに引っ張られて毎回同じようなキャラクターでしっかりものになってしまうのだ・・・(笑)
さてさて課題も見えているので次も頑張ろう!
ありがとうございました!
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