Tomorrow will my special day.

so,I wait wait waiting this day.

Let's go to east,and Let's go to meet your face.

Now I'm thinking you,create your special smile.

That's make me happy,
and fell my heart smile.

できたことはつい最近のように思い出される

んじゃあできるだろうとタカをくくってやってみた

1/4でも必死になった

あんときはなんでできたんだろって不思議になる
あんときのイメージを頭の中で描こうとしても、
それは断片的にしか思い出せず、

結局必死になる


でも

走ることで 考えや不安やストレスを

少しはなくすことができることって、

それはそれで素晴らしいことだとは思わないかい。
一年前のこの空も

同じように寒かった

何年も何年も

この空は同じように寒いのだろうと

ふっとそんなことを思った
時間がない日々に追われて考えることが少なくなっていた

日々変化する新しいことや
4月から始めた新しい挑戦が、
僕の中を支配していることはわかっていた

それでもあれから1年経つということ

早かったのか、遅かったのか、
そんなことはどうでも良い。

ただ確実にわかっていること

1年という日が流れたということ。

僕の中で、そして君の中で、
確実に流れた月日は
いったいどれだけのものだったのだろうか?

僕にとってのこの1年間は 成長の時間だったように思える。

1人で生きていくということ、

先の見えないレールの上を歩いていくということ

勉強するということ

そしてなにより

君が隣にいない生活というものをしていくこと

心の中には常にいる

はっきりいる

それが支えでここまで過ごしてきたといっていい

僕の中での存在は、あの日から変わってない
むしろ大きくなり続けている

それじゃダメだ、自分でなんとかせな
自分で新しい世界で生きていかなくては

そんなことを考えても僕の中の存在は消えはしない
決して消えることのない存在とこの想い
1年という月日はそれを大きくした

そして今思うことは

この想いを君に伝えたい
ずっとずっとこれからも大きくなり続ける君の存在。

君の幸せそうな顔を、君の隣で見ていたい。

場所は違えど空がつながっているように
心はつながっていると思いたい。

I wish your happiness,
and
I want you.

それが今の僕

1年前と変わらないというかもしれないけれど、
その想いは変わらないとはっきり言えるよ。

その他の部分は成長したとしても。
先日夏休みの折に、家族4人で家族旅行に行ってきた

そこでたまたま行った以前TVで見た建築を発見して
そこの中の美術館を見たときのお話

”日本画と西洋画について”

•大きな観点から
絵画にはいくつかある。
日本画、油絵、水彩画などだ。
これは各々絵の具の違いからそう呼ばれる

絵の具の違いもそうだがもっと大きな相違点があることを知った

例えば同じ風景画を描くときに
日本画の場合、ある風景を切り取って描く。
西洋画は風景そのものの全体像を描く。

西洋画は風景を全体的に描き、その風景そのものを額のなかに納めてしまう。
日本画はある一つのものにスポットをあて、風景の中の一部を切り取ってしまう。

空一面を描くのではなく、
空の中を飛んでいる鳥一羽だけを描く。

森林を描くのではなく、
森林の中の一本の木のその中の一本の枝を描く。

キャンパスの中のその他の無の空間の中に美を見いだす。

そこには日本人と、西洋人の品格の違いから起こったものだという

西洋人は描かれている風景そのものだけをみて
その絵画のすばらしさに浸るのだという

日本人は描かれている一点の鳥や、枝を見て
そこから周りの風景を想像して絵画を評価するという

つまり西洋画は風景そのものを想像させるのに対し、
日本画はその風景の周りの風景の想像力をかきたせるものである

それは日本という国にははっきりとした四季というものがあり、
古来より日本人は自然と共に共生をはかって生きてきた
だから日本人は自然の中にある一羽の鳥のなかから、その鳥が今どのようなところを
どのような天気で、どのような感情のもとに飛んでいるかを想像する。
想像する力があるのだという。

西洋人は自然を強制して生きてきた人種である
だから風景全体を絵画に載せないとその素晴らしさを評価しないという。


例えば花火。

日本人は夏と言えば花火というように、世界でも第一の花火大国。
花火大会で、花火を見て、
「もう夏なんだなぁ」とか、「夏ももう終わるんだなぁ」なんて、人それぞれ感じるところは違うだろうが
花火を美しいもの、として感じる。

西洋では花火はイベントを華やかにするための道具として使われる。
イベントを盛り上げるためのツールとして使われるために、
メインに花火大会を催すことはほとんどない。

桜が咲いていることに美しさを見いだしたり、桜が散っていく姿に春の終わり、梅雨の訪れを感じたりする。


最近読んだ本にも書いてあった、”情緒”という言葉。
日本人は自然と生きてきた。
自然の美しさ、儚さ、恐ろしさ、全て受け入れてその中から美を生み出してきた。
そんな日本から生まれる情緒。

なんだか素敵な言葉に聞こえた。


日本人的というのは、日本画にも古来から描かれている(実際には額内には描かれていない)ように、
無いものを想像して、そこからそれぞれの生きてきた経験と感性で 美しいと感じ、
思い思いの思い出と重ねることではないのだろうか

と思う。

一人一人、生きてきた経験や、感性や、色が違うのだから、
空に飛ぶ鳥一羽、花火、桜を見ても、
それぞれ感じるところが違って当然だと思う。

それを絵画に描写するとしたらやはり、

無の空間にこそ美があるのではないか

なんと素敵なことなんだろうと思った。

何度も何度も繰り返す

その年に体中を流れた音楽

心に響く音楽

その一曲一曲を聴くたびに あの日を思い出す

あの空間にいれることが

僕に幸せを運ぶ

流れた何曲もの唄たちの中で

涙が自然とこぼれる曲があった

イントロを聞いてあの曲とわかった瞬間、

第一声が聞こえた瞬間に 流れた涙を

僕は見せたくはなかった

ただ

一緒にあの空間を共有できて

それだけで良かった

もしも あの時 あの場所 あの瞬間に

一人でいたら涙を流すことは無かっただろう

もし流したとしてもそれは

あのときの涙とはまた違ったものとなっただろう

そう思う

あの時 あの場所 あの瞬間に

あの曲を感じれたこと、共有できたこと

幸せを運んできてくれた summer fesに

感謝。

「何にもないけれど

いつでも野に咲く花のように

君が優しかったから 僕は

元気でいるから」


ありがとう。


先日会社で行った有名な建築家の講演で印象に残った言葉

「軽いものを重くみせる」

この前、たまたま行ったお店で誘われた60VISIONミーティングで印象に残ったこと

「60年代の一度廃盤になったプロダクトを21世紀という時代に復刻させることの意義」


この2つの講演を聴いて、とても奇妙なことが起こっているのではないかという疑問が浮かんだ

現代という時代に溢れているデザイン、プロダクト、
そしてそれを作り出している多くのデザイナー

このデザイン素敵だなぁとか、このプロダクトかっこいいなぁなんて
お店やwebを見ていて思うことも多い。

しかし、そう思うことのほとんどが、現在という時代に逆行しているようなものということに気づく

技術革新でより小さく、より薄く、そして機能性を重視した多くのモノ、

その中でも、重量感のあるものや、機能性とはかけ離れたデザインをしているもの

そのようなものが素敵だなって思う。


軽いものを”あえて”重くみせる

薄いものを”あえて”分厚く見せる

機能性が溢れているのに”あえて”単純な仕掛けにする


ここに隠されているキーワードを考えてみると、、、

「simple design」

なのではないのか。

外見をsimpleに見せようとする。

そこに美しさを表現する。

そのようなモノを好んでいる自分に気づく。

21世紀の技術革新が起こした機能美というよりも、衰退美。

60VISIONが生まれた訳もそこにあるような気がする。

このobjectionとも言える現代のデザイン

そこに、2007年の問題と、50、60年代のデザインは繰り返すという理論が生まれる理由がある気がした。
やっぱり現場はいい!!

会社で黙々とPCに向かって作業をしているよりも(PCでネットするのはSFCでもう懲り懲り。。。)

やっぱり現場に出て多くの協力者さんと現場をどうおさめるかを話し合って

実際に動かしてみて、

でもやっぱりうまく収まんなくて

そうやって支店さんのオッケーをもらうことが楽しく思える

やってやったぞっていう気持ちになる

ぶっちゃけ、現場であれこれ考えないように

それまでに図面をしっかりと作って、完璧にして当日を迎えなきゃ行けないんだろうけれど、

やっぱり現場は図面通りにいかないもので

(本当は無い方がいいんだけれど)それでも自分はトラブルがあった方が

やってやるぞ!!っていう気持ちにさせられる。

今日もそんな現場。

例えば多くの人に囲まれながら毎日を過ごしているときに
その人との距離は過ごす日に比例するのだろうか?


本当の配属先であるルームチーフとは部屋で何回かすれ違ったくらいで

挨拶もろくにしていなかったが

会議の後の飲み会の場の 本当に最後の最後に

その人と話す機会が与えられた

僕のことなんてこれっぽっちも考えてくれているなんて

そんな想像さえもうかばないような雰囲気の人

でも違った

僕らが特別プロジェクトにいることを本当に(少なくとも僕にはそう思えた)残念がってくれた

そして自分の考えを話してくれた

会社は自分の理想を実現するための道具だともいっていた

確かに僕は今のプロジェクトの上司の人を心から尊敬している
すごいなぁ 見習わなくちゃなぁと思っていた

それは本当の気持ち

でも

どこかにやっぱり違和感はあったのはいまだから言える

その人と今日話せたから気づいたんだ

話の途中に涙が出そうになった

人の話を聞いて涙がでそうになったのなんて久々だ

自分と同じような考えを持った人

今は自分の上司でなくとも その人はいつでも俺に相談してこい

自分の思ったことをはっきりと持って取り組め

そして先輩を尊敬しろ

そう言ってくれているように聞こえた


帰りに4年前に書いた”perfect”という日記を思い出した

あのころはある人に向けてのメッセージだったのだが

急に思い出してなんだか今の自分の心境と重ねてみた

一歩一歩進んでいこう

慣れないことでも何のためにやっているのかわからないことでも
きっと明日につながる
大切なことをしている

そう思いながら

ここのところの自分は
なんだかだれていた
そりゃそうだって笑い合える友達もいるけれど
そんな居心地がいい空間にいるときには

やっぱりなんかが引っかかっている

一歩一歩大切に踏みしめていくことが
大切なんだとおもう。

Don't forget your first resolution.