岸和田城は、楠木正成公の一族
和田氏が、岸(海の近く)と呼ばれていた
この地に城を築き、根拠地としたことから
「岸の和田氏」と呼ばれ
「岸和田」の地名の起こりになったといわれます。
その後、岸和田城主は、信濃氏、細川氏、三好氏、
松浦氏、中村氏、小出氏、松平氏とかわり、
江戸期の寛永17年(1640年)に、
岡部宣勝が入城し、
以来13代続き明治を迎えました。
また、岸和田城は、「千亀利城(ちきり城)」と呼ばれます。
「ちきり」は、布を織る機(はた)のたて糸をまく器具で、
本丸と二の丸を重ねた形が
「ちきり」に似ていることに由来するといわれます。