誕生日プレゼントを送ったら
返品されつつ、絶縁状が届いた。

ショックではあったけれど、
感覚では、わかっていた。
プレゼントを送る時、もしかしたらこれは
私の元へ返されるかもしれないという予感があった。

それでも送ったのは、その人が生まれたことを
お祝いしたかったから。


理由は書いてなかったから明確にはわからないけど
不安定の時にさんざん迷惑をかけたし
なんとなく、理性では理解してた。
感覚でもすでに納得していた。

でも、感情だけがどうしても納得できない。
言いたい事はたくさんあるし、その中には文句もあった。
悲しみは深く、逆恨みの復讐までしたくなるような自分がいた。
それだけ、自分の中では縁が強かった。

でも、人の縁は、片方だけでは成り立たない。
有無を言わせず切られた縁を、どうしてすぐに結べようか。


一生懸命、自分の感情に言い聞かせていた。
けれど、夜になると、感情が爆発していろんな想いが錯乱する。

大切な人をそこまで傷つけた、死んでしまいたいという絶望と
言い分も何も聞かず一方的に切られたことへの恨みと
これまで限界まで付き合ってくれたことへの感謝と。

毎夜、襲ってくるそれらを、乗り越えないと私は進めないと思った。
辛いけれど、受け入れて、自分で昇華しないといけないと思った。

金曜日、疲れがピークに達して、みきにメールを送ったら
メッセで全く別の、いろんな会話をして、そしてお別れを言ったその夜、
完全ではないけれど、受け入れて、ただ縁のなくなった人へ
今までの感謝と、お別れを、心の中で言う事ができた。
今までありがとう。元気で。さようなら。
大好きな親友がやってきた。
友達の結婚式に出るために来沖したのだが
私に会うために時間を割いてくれた。

会うのは約3年ぶり。
もう前日から嬉しくてドキドキしていた。
遠足前の子どものようだ。


たまにメールをしていたせいか
会ったのは久しぶりだけれど
久しぶりに会った気がしない。
けれど、彼女の髪型や指輪や細かいところで
ああ、久しぶりに会えたんだと心の中で感慨に耽っていた。

聞きたいことも話したいこともいっぱいあったのに
気づいたら私ばかり喋っていたような気がする。
彼女が聞き上手なのもあるけれど、
嬉しい気持ちが止まらなくて暴走したような感じ。

モノレールまで送って彼女を見送った時は寂しかったけれど
元気をたくさんもらえた。
人を幸せにできる彼女はすごいと思う。


「またすぐ来るよ」と言ってくれたけれど
私も会いに行きたいな。
うん、頑張って計画してみよう。
行く前にメールでうつ病のサイトの件で問い合わせたら、
「うつの問題ではなく自我の問題です」と返された。
「人格障害ですか?」と尋ねると「自我障害だけど人格障害まではいかない」
もう、頭パニック。

病名など詳しいことはメールでは言わないと思ったので
夜眠れるように、詳細を聞きに病院へ。

どうやらうつ病は良くなっているらしい。
それは嬉しい知らせだけれど、
未だにやたら動けなかったり
あちこちチョコチョコと切る自傷行為をするので
うつ病じゃなきゃ何なんだ?という話になる。

自我障害を治すということは、性格を改善することに繋がるので
約35年培ってきたものを、変えるのは容易ではないだろう。

そしてカウンセリングを勧められた。
どうやら専門のカウンセラーがいるらしい。初耳。

今回は「早く言えよ」と思うことてんこ盛りの通院だった。
でも、体調不良からうつ状態になる経緯を説明されて
少しだけ理解はできたようで、何となくホッとする。
私は一番、何の病気がわからないのが恐怖だと思うから。
感覚や感情が突出してくると
自分が2人いるような気がする。

わめいている自分と
言い聞かせている自分。

理性は、常に心にあるさまざまなものを
抑え込むものなんだな、と、改めて思った。

普段、どれだけ自分は理性を使って
それらを抑え込んでいるのだろう。


いつも、笑っていても怒っていても
別のところで自分を見ている自分がいて
どこかで線引きをしているようだ。

自分がわからなくなる。


でも、友達と一緒に遊び騒ぐ私も自分。
楽しんでいる自分も私。


理性的なのも感情的なのも、
どちらも自分の中で同居しているのだ。
携帯から、連絡先を1件、消去した。
1番目に登録されていた番号。

昨日、錯乱していた時だ。
夜中だというのに3度も電話をかけてしまった。

3回とも、呼び出し音を聞いたら怖くなって、
すぐに切ってしまったけれど。

たぶん、鳴らし続けても
相手がでることはなかっただろう。

ただただ、他愛のないお喋りがしたかった。


これまでも何度かそんな事をしてしまって
いろいろ迷惑をかけていたけれど
(3回もかけたのは初めてとはいえ)
夜中にワン切りコールなんて
更に嫌な気分だったろう。


だから、携帯からデータを消した。
そうすれば、自分からはかけることはなくなる。
これ以上、依存しないために。

データはあるけど封印しよう。

家の番号は覚えているけれど、
どんなに混乱していても、
そこにかけることはない。


今頃になって、昔、特に用のない電話が
何度かかかってきたことをよく想い出す。

私は取れる時には普通に会話していたが
相手はギリギリの状態だったのかもしれない。
今の自分のように。

でも、もうそれはわからないまま・・・。

風邪が少し良くなったと思ったら
今度は月の満ちる週がやってきた。

ちょっとした言葉が気に障り
ちょっとした動作が目障りになる。

心がピリピリと過敏になったようで
理性ではわかっていても
感覚がついてきてくれない。


そこで冬眠もどきをすることにした。
薬を飲んで、耳栓をして、ほぼ1日中寝る。
見ざる言わざる聞かざる。

そうすれば、怒鳴ることも苛々することも
後悔することも、それで悲しむこともない。


そうした状態を2日続けていると、
家族と暮らしているはずなのに
本当に1人だけ、別の世界で
暮らしているように感じるから不思議だ。

そこにあるのは、ただ寂しさ。
1週間ほど前から風邪らしい。

喉のひりひりとして、咳と痰で
先週はティッシュが手放せなかった。
熱がでなかったのは幸い。

今週に入って、少しは咳の間隔が短くなったけれど
収まらないので、病院に行ったら
「のど真っ赤だよ」とご指摘が・・・。

今はだいぶ良くなっているが、
まだまだ咳が治まらない。

行きたいところがあるが、風邪引きのままでは無理・・・。
来週までには治ってほしい。
終戦記念日に近くなると
メディアで特集を組んだり
関連した映画を放送する。

それはそれで良い事だ。
内容が、戦争に対する警告であるならば。


ただ、いつもそれを見ながら思うのは
どうして慰霊の日にはそういった特集があまりないのか。

一部地域のことだからか、と思うが
広島や長崎については、かなり放送されている。

他の地域の方も、話にのぼらず
悲しい想いをしている人がいると思う。
どの都道府県でも、犠牲が出なかった所はない。


けれど、唯一の地上戦があった場所。
その特異性があるはずなのに・・・。

島民の4人に1人は亡くなった理由。
そこに起因しているのか、と漠然と考える。

ここは日本なのに、戦争の特集を見る度に
満州とダブって感じてしまうのは何故だろう。

今日はハローワークの初回講習だった。
9時から開始だったので、
久しぶりに朝早くからバスに揺られて
時折激しい雨が降る中、向かう。

3年以上前に受けた時と違っていて
講師は社会保険労務士もやっている方で
話がうまく、2時間の講習は、結構退屈せずに良かった。

人もぴっちりという程の席の埋まりようではなく
資料と話に集中することで、何とか苦しまずに無事終了。


終わったのは、お昼前。
せっかく早く起きて外に出たのだから、
本当はショッピングをして帰る予定だったのだ。

しかし、思った以上にダメージを受けたらしく
講習所からでた後は、歩くのさえ億劫で
ゴルフ帰りの父に迎えにきてもらった。
・・・こんなんで仕事できるのか・・・私(汗)

お腹は空いていたけれど、食べたいものもなく
豆乳と牛乳だけで、薬を飲んで一休み。


夕方、再び母を送ってもらう時に、買い物に行った。
どうしても、今日買いたいものがある。

大好きな親友の誕生日がやってくるのだ♪
今日中に買って、発送して
出来るだけ当日に、彼女に届いて欲しい。

あれこれ探して「これだーーー!」と思ったもの。
本当はカードとおまけを付けて
自分で梱包したかった。

でも繊細で壊れやすそうなものだった・・・大丈夫かなぁ?
きちんと割れずに発送できるか確認してみたら、
お店の方で発送をしてくれると教えてくれたので
素直にお願いした。
専門店だから確実!

無事に届いて喜んでくれるといいな♪


親しい人に、贈り物をするのも、
それを探すのも楽しい。
探している間、その人の喜ぶ顔をずっと考えて
いられるから。

必ずしも気に入ってくれるとは限らないだろうけれど
それでもみんな、気持ちは酌んでくれるから。

そして誕生日は、その人が生まれてきてくれたことを
お祝いする日だから。
出会えて、感謝する日でもあるのだ。

8/7 二十五夜

死んでしまいたいという想いと
死んではいけないという想いが
自分の中で同居している。

真逆の思考が一緒にいられるのは
どちらも、主体的ではないからなのかもしれない。
誰かや何かのせいにして、何某かの言い訳をしている。


自分の想いを客観的にみている自分がいる。
そこから見えるのは、ただ逃げて馬鹿な己だ。
ひどくため息をつき、その様子に希望をもてず
また想いが巡ってゆく。


夜になると、2つが入り混じって自分の存在が希薄になる。
いろんな想いが混濁した中で
横になると、常に自分の生死を討論しながら
ここにいる意味って何だろう?と疑問に感じて。


夜明け前、ふと目が覚めたとき
薬でボーっとしつつも、何かがしたくて、
右に1つピアスホールを作った。
これまで病院でやってもらったが、
希望通りにいかないことが多くて。

消毒をして、ファーストピアス用のピアスで開けた。
ゆっくり耳に穴が開いていくときの痛みは
自分の意志でやっていることの証のようで
なんだか心地よかった。

痛みって生きていることの証でもあるんだ・・・。