皆さんこんにちは。 ノートル パリです。 ご訪問頂きありがとうございます。
久しぶりに絵画のお話です。
ナポレオン ボナパルトの有名な絵画『グラン・サン・ベルナール峠を越えるボナパルト』のお話。
有名画家など、注文が入れば、同じテーマで、何枚も書きますので、同じ絵が、何枚も存在しています。
下記の『グラン・サン・ベルナール峠を越えるボナパルト』もナポレオン専属の画家ダヴィッドが5枚描いています。
画家によっては、テーマが同じで、構図を変えたりしていますが、ダヴィッドの場合には、構図は同じで、色を変えたり、ちょっとした装飾の部分だけを変えています。
1801年から1805年の間に、ダヴィッドによって5枚描かれたそうです。
サイズも5枚共に同じで、2,6m×2,2mの結構大きな絵です。
最初の1枚は、スペイン王(=シャルル4世)による注文でした。
その後、ナポレオン1世は、この絵画のダイナミックなポーズとオーラが気に入り、ナポレオン1世自身によって3枚追加されました。それぞれに、パリのアンヴァリッド、パリ郊外のサンクルー城、ミラノのチザルピーナ(当時、ナポレオンのイタリア遠征によって占領したフランスの姉妹共和国)に飾る為でした。
最後の5枚目は、ダヴィッドが自分自身の為に描き死ぬまで自宅に保管していた絵だそうです。
それらが、現在どこにあって、どこが違うのかを記載したいと思います。
①マルメゾン ヴァージョン/1801年に描いた最初の絵画。
スペイン王シャルル4世が描かせたものです。
現在では、パリから20㎞位の郊外の町、マルメゾンにある、マルメゾン城に飾られています。
ナポレオンの最初の妻ジョゼフィーヌのシャトーです。
私が最後に訪れた時には、ナポレオンのデスマスクがありました。
こちらの絵は、1949年よりこのマルメゾン城に飾られています。
②ベルリンのシャルロッテンブルグ宮殿ヴァージョン /1801年に描いた2度目の絵画。
パリ郊外のサンクルー城用に描かせた絵だったのですが、1816年よりベルリンの宮殿に飾られたのです。
途中の1811年には、ヴェルサイユ宮殿のグラントリアノンにも飾られていたそうです。
馬の色もマント―の色も変えています。背景の色も馬とマント―が引き立つ暗い色を選んでいますね。
③ヴェルサイユ宮殿 ヴァージョン / 1802年作
元々は、パリのアンヴァリッドの図書館に飾られていた絵です。
1837年に、ルイ フィリップ1世によって、ヴェルサイユ宮殿に飾られました。
ヴェルサイユ宮殿では、1-2年ほど前からナポレオン ギャラリーが一般公開されており、そちらに展示されていました。
マント―の色を比べてみて下さい。マント―のディテ-ルがラフに見えますね。
マント―の色とナポレオンを引き立たせるグレーのバック。
又、馬の顔が、①②と比べて、一色使いですね。
④ウイーンのベルヴェデーレ宮殿ヴァージョン/1803年作
元々は、ミラノのチザルピーナにあったもの。1834年にウイーンに移された。
①に比べバックを暗くしたのもあり、マント―の色が明るくて、一番力強さを感じます。馬の色は、やはり白の方が良いですね。
⑤2つ目のヴェルサイユ宮殿ヴァージョン/1803年作
画家ダヴィッドが死ぬまで自宅に保管していた絵画。
腰のカマ―ベルトの色が水色!
微妙に顔が違うような。。。?
1979年に、ヴェルサイユ宮殿に納められた。 ダヴィッドが他界後には、子孫が管理したり、チュイルリー宮殿にあったりと、点々としていたのです。
左下の岩に、BONAPARTE=ボナパルト、そして、HANNIBAL=ハンニバルと記載されています。
ハンニバルとは、紀元前に、ローマ史上最強の敵で、連戦連勝を重ねた人で、ナポレオン ボナパルトのように、アルプス越えをした人です。
さらに、CHARLEMAGNE=シャルルマーニュ=ヨーロッパの父の偉大な名前も記載されています。
この絵を5枚見比べる展覧会は、残念ながら未だありません。それぞれの場所に行ったら、忘れずに見比べて頂くのが良いですね。
尚、この絵は、プロバガンダです。実際は、ラバにのって、ガイドについてアルプス越えをしたようです。ナポレオンのオーラとイメージを作り出すPR用の絵ですね。 ( ´艸`)
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