皆さんこんにちは。ノートル パリです。 ご訪問頂きありがとうございます。

 

昨日に引き続き、マリーアントワネット関連です。

 

マリー・アントワネットの女官長ランバル公妃が殺害された場所には、現在看板があり、今でも知る事が出来ます。

 

マリーアントワネットに忠実で、慎ましやかで純粋なランバル公妃は、マリーアントワネット一家が、ヴェルサイユ宮殿を追われた後も、彼らの為にイギリスに行ったり、自分の部屋を王党派達の連絡場所にしたりと、骨折ってきた優しい人。

 

マリーアントワネット一家が閉じ込められていた、タンプル塔に幽閉されたが、彼女だけは、9日位後に、下記のラ フォルス牢獄に移された。

 

 

1792年9月3日4日5日の『9月虐殺』は、このラ フォルス牢獄内で行われた。

ランバル公妃を含む161人が虐殺された有名な事件。

王党派を憎悪した民衆達は、悪魔のように恐ろしい。

 

ランバル公妃は、殴られ、首を切られ、強姦され、その遺体は最後には、バラバラに切り刻まれたという。

 

何と、惨い事を。。。。

 

しかも当時の事情は、下記のように絵画にもなっている。

 

ラ フォルス牢獄は、1780年に作られ、1845年に壊されたので、今は無い。

が、その場所には、パリ改造の時に、アパルトマンが建てられている。

 

黄色い→が、当時のラ フォルス牢獄の入り口だった場所。

今はお洒落なファッションの地区になった、マレ地区にある。

 

ラ フォルス牢獄は昔の出来事で、もう存在しないが、そこには、現在下記の看板がある。

 

この場所は、ラ フォルス牢獄の入り口だった。

ここで、ランバル公妃を含む161人が、1792年9月3,4,5日に殺害された

 

 

パリの町には、昔と今が息づいており、歴史にもタイムスリップ出来る。

 

マリーアントワネットやベルばらのフアン達には、是非とも訪れて頂きたい場所がいくつかありますよ~。

 

 

 

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