皆さん こんにちは~! パリ個人旅行案内のNOTRE PARISノートル パリです。
お元気でしょうか?
パリには、3大国立美術館があります。
その中の1つが、オルセー美術館。 又の名を19世紀美術館と、19世紀前後中心アートですので、印象派の作品も多く、日本人の方々がお好きな美術館となっています。
大まかに分けて、19世紀以前のアートは、ルーブル美術館に、19世紀後のアートは、ポンピドゥーセンターに展示されています。
このセーヌ川横にあるオルセー美術館は、元々は、駅でした。
私がパリに来た当時には、美術館は、未だ存在すらしていなかったのです。
下記の銅製看板に、//ミッテラン大統領時代の1986年12月1日に美術館オープニング// と記載され、美術館内入り口近くの壁に掲げられています。
しかし、実は、ミッテラン大統領の前のジスカールデスタン大統領が、古い駅を美術館にする計画を進めていたのでした。
ここの場所は、最初は、ナポレオンが外務省の庁舎=オルセー宮を建てたのですが、1度も使用しなかったんですね。下記が、当時のオルセー宮。そして火事で全焼してしまいます。
それで、1900年パリ万国博覧会にあわせて、パリ⇔オルレアン間及び地方電車、国際電車の駅となるのです。
当時は、機関車が煙を吐きながら走っていた時代です。
鉄骨をベースにしながらも化粧石で作られた駅で、370室のホテル、ダンスホール、パーティ―ルームもある複合施設のような駅だったわけですから、他の駅よりもモダンで美しい駅だった事でしょう。
この駅は、スペインやポルトガルに行く国際列車も発車しました。
下記が1920年の時のオルセー駅。現在の美術館のベースです。
駅の場所柄、敷地が小さく、拡大も出来ず、最終的に1939年にターミナル駅廃止となります。
その後は、色々と使用目的が変化してきました。
第2次世界大戦時代には、ドイツ軍の司令部になったり、戦後の捕虜施設、劇場、シャルルドゴール元大統領の記者会見場、、、、、
駅内ホテルは、1973年まで営業していたのですね。
ジョルジュポンピドゥー大統領が他界する直前に、この駅を美術館にしたいと計画し、それをジスカールデスタン大統領が受け継ぎ、さらに、次の大統領であるミッテラン大統領になって、やっとオープニングにこぎ着けたという、実に3代の大統領の努力の結晶と言った所です。
余談ですが、フランスは、こういう都市計画がしっかりとしていて、長いスパンで物事を見ていくので、他国にありがちの、全体像を考慮せず、点で動き、自分の大統領時代だけ目立つ活動をして人気を得れば良いという自分勝手さが無いように思うのは、筆者だけでしょうか?
さて、内部は、駅を改造しているので、広々としており、当時のアールヌーボー様式が見られます。
5階にあがると、駅だった当時の2つの大きな時計裏に行く事が出来ます。
時計の間から、モンマルトルの丘にあるサクレクール寺院が見えるのがお分かりになるでしょうか?
2つ目の時計は、同じ5階のカフェにあります。
当時のダンスホールは、下記の鏡の後ろ=2階にあり、現在では、レストランになっています。
宮殿のような素晴らしい内装ですので、ここでランチを取る事をお勧めします。
お値段も高く無いのですが、お料理内容もお値段に比例していますので、フランス一般家庭料理のような大衆料理です。
英語のメニューもあるかと思います。
素晴らしい天井の絵画も是非ご覧下さいね。
そして、パーティールーム。現在では、レンタルルームとなっていますので、たまに企業がパーティーに使用しています。
このお部屋の素晴らしい装飾は、下記の写真では、お伝え出来ないほどです。
外に出ると、鉄で作られた大きな動物達が待っています。
サイ
罠にはまった若いゾウ
ハローホース
これらの動物達は、1878年のパリ万国博覧会用に作られた物なんです。
シャイヨー宮が作られた時です。
3つの彫刻の製造者は、全部異なります。高さが、3~3m50と巨大ですよ。
他にも6人の彫刻があります。高さ1m50~2m10位
手前から、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ、オセアニアの人。
アジアの人は、日本人かな? 髪を結っています。
これらも動物達と同じように、製作者は全部異なり、1878年のパリ万国博覧会用に作られた物なんです。
シャイヨー宮のテラスに飾られていたものをオルセー美術館に持ってきたのです。
中の展示物も素晴らしいのですが、その箱も素敵でしょう ⁉
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