真っ白な病室に、渚紗の穏やかな寝息が響いている。
急に倒れた時はどうなる事かと心配したが、医者によると単なる寝不足と貧血らしいし、とりあえずは一安心といったところか。
「・・・ったく、心配かけんなよな」
澪汰が渚紗の額にかかっている前髪を指で寄せながらそう呟くと、
「・・・・ぐへへへ・・・」
不気味な笑い声が返ってきた。
どんな夢見てんだこいつ・・・と若干澪汰が引き気味でいると、病室のドアが開き、両手にジュースを持ったカグラが現れた。
「ジュース買ってきたよー」
「お、悪いな」
カグラからジュースを受け取り、一口飲んで一息吐き、「そういやお前誰?」「やだなあカグラだよ」「ああ、カグラか」「もう、しっかりしてよねー?」「ははは、悪い悪い」と少し会話をしたところで、澪汰はようやくある異変に気がついた。
「・・・え!?お前人間になれるの!?」
「今更!?遅すぎるよね!?鈍感にも程があると思うよ!?」
*
「ふんふんふーん♪」
その少女はとあるビルの屋上に腰かけていた。
手には最新の携帯端末が握られている。
「ほーんと、最近のケータイってすごいよねー」
少女は誰かと通話をしている。
ただし、彼女が通話の手段として使っているのは手に持った携帯端末ではないようだった。
「わかってるよー。まだ手ぇ出しちゃダメなんでしょ?ちゃーんと守ってるよ?今は遠くから見てるだけだからさー」
のんびりとした口調とは裏腹に、彼女の瞳には鋭い光が灯っている。
彼女の視線は、先程から常に一点を捉えている。
数キロ離れた場所にある病院。
もっと正確に言えば、その病院のある一室を。
彼女は誰かとの通話を終えたらしく、手元の携帯端末のタッチパネルを操作し、1枚の写真を表示した。
そこに写っているのは、1人の少女。
彼女はそれを眺め、楽しそうに、本当に楽しそうに微笑みながら呟いた。
「・・・楽しみだなあ、小鳥遊渚紗ちゃん♪」
*
話し声が聞こえる。
どちらも聞き覚えのある声だ。
布団がかけられているような感覚もある。
(ああ、そっか・・・私、倒れたんだっけ)
最初はぼんやりとしか聞き取れなかった話し声が、段々はっきりと聞き取れるようになってくる。
ゆっくりと目を開けていくと、真っ白な天井が目に入った。
辺りを見渡してみると、人間の姿になったカグラと幼馴染みの澪汰が話をしていた。
と、目を覚ました渚紗に気付いたのか、澪汰が言った。
「目、覚めたか?」
「んう・・・・ここは・・・?」
身体を起こそうとすると、少し身体が重く感じられた。
「病院。・・・っと、大丈夫か?まだ寝てた方がいいんじゃないか?」
「んー・・・・そうする」
まだ眠気も残っていた事だし、澪汰の言葉に甘えて渚紗は再びベッドの上に横になった。
「ふあ・・・・眠い」
「寝不足らしいよ?渚紗。あ、僕なんか買ってくるね」
そう言ってカグラが病室を出ていく。
「よかったよ、何事もなくて」
澪汰が安心したように微笑み、溜め息を吐く。
渚紗はそれに微笑み返しながら、
(・・・・寝不足、か)
確かにここ数日ろくに寝ていなかったものの、自分は本当にただの寝不足で倒れたのだろうか?
どうも、それだけが原因ではないような気がしてならない。
(あの時・・・・・・)
倒れる瞬間、渚紗には声が聴こえていた。
(あの時、一瞬お母さんの声が聴こえたような・・・)
何かを言っていたような気がする。
だけど、何を言っていたのか全く思い出せない。
思いだそうとするが、ノイズがかかったようにその声をはっきりと思い出す事が出来ない。
「・・・・ねえ、澪汰」
「ん?」
「ありがとね」
澪汰は少し驚いたようだった。
それでも、優しく笑って、こう応えた。
「どういたしまして」
*
そんなやり取りをドアに寄りかかって聞いていたカグラは、静かに目を閉じた。
(ほんとに仲良いんだね、あの2人)
2人の事を長い間見ていたカグラとしては、あの2人にはいつまでもあんな風に過ごしていて貰いたい。
のだが、
(ごめんね、2人とも)
ここ最近、自分の他にもあの2人を観ている者がいる。
今はただ観ているだけだが、手を出してくるのは時間の問題だろう。
近い内に、あの2人の平和は崩れ去る。
(・・・それまでは、絶対に僕が守ってみせる。小さいけれど、確かな「幸せ」を)
カグラは小さく頷き、病室のドアを開けた。
「おーい2人ともー!!お菓子と飲み物買ってきたよー!!!」
*
「・・・・・・・ふう」
窓の外は黒く染まっている。
病室に備え付けにされている時計は午後9時ぴったりを指していた。
面会終了の時間になったという事もあり、澪汰とカグラは帰っていった。
「・・・そういえばカグラってどこに住んでるんだろ」
思えば思うほどカグラはかなり不思議な猫(?)のような気がする。
人間になれるし、喋れるし・・・・どう考えてもまともじゃない。
「・・・うーん・・・ま、考えてても仕方ないか」
適当に結論づけて窓の外から視線を外す渚紗。
特にする事もなく、何をしようかなーと周囲に視線を巡らしたところで、
「っ!!??」
「やーっと気付いたかー。待ちくたびれたよー?」
病室に見知らぬ少女が立っていた。
いつからいたのか、そもそもどうやって入ってきたのか。
長い銀髪を右側で結わえて腰付近まで垂らし、革ジャンを羽織ったその少女は、薄い笑みを浮かべながら言った。
「あはは、びっくりした?」
ともすれば友好的にも感じる口調や雰囲気だが、違う、と渚紗は直感的に感じた。
何かが違う。
まるで、言葉巧みに相手に近付いて大金を騙し取っていく、詐欺師のような。
そんな渚紗の心中を知ってか知らずか、少女はなおも笑みを浮かべたまま、渚紗に語りかける。
「いやー、ほんとはまだ接触は許されてなかったんだけどね?それでもやっぱ私としては興味津々なわけよ。同じ「歌姫」としてさ」
「・・・・・・・・?」
接触?「歌姫」?
一体、この少女は何を言っている?
「「何言ってんのこいつ?」って顔だねー」
少女は笑う。
鋭い眼光を携えて。
「すぐにわかるよ。・・・・あ、やっぱり私が教えてあげよっと」
直後だった。
ゴウッ!!!!と。
病室の壁が冗談抜きにぶち破られて。
渚紗の身体が、空中に投げ出される。
「なっ・・・・!?」
何が起こったのか、全く理解出来なかった。
ちなみに渚紗のいた病室は6階。
このまま地上に落下すれば、確実に絶命する。
(これ・・・やばっ・・・!!!)
明確な死の恐怖が渚紗を襲う。
そんな時。
『「歌」を歌うのよ、渚紗』
「!!」
頭の中に響いた声。
気のせいかとも思ったが、違う。
(この声・・・・・)
幼い頃によく子守唄を歌って貰っていた渚紗には、わかる。
この声の主は紛れもなく、
「・・・お母さん・・・?」
間違いない。
この声は死んだ母のものだ。
渚紗の質問に「声」は答えない。
ただ、もう1度繰り返すように、告げる。
『「歌」を、歌うのよ』
「・・・・「歌」・・・?」
なぜこの場面で「歌」を歌わなければいけないのか。
悠長に考えている時間はなかった。
こうしている今も、渚紗の身体は地面へと吸い込まれるように落下していっている。
となると、一か八か。
母の「声」に、賭けてみるしかない。
渚紗は口を開け、息を大きく吸い込む。
何の「歌」を歌えばいいのか、不思議と渚紗はわかっていた。
それは・・・幼い頃に聞いていた、子守唄。
「─────────♪」
紡ぐように「歌」を歌っている渚紗の身体が、光に包まれていく。
そして。
────続く────