必要な人だけが来られる霧の谷で、リナは、1人ひとり違う個性や特技を認め、教えてもらって一緒に楽しむ経験をし、誰かを手伝って役に立ちお礼を言われ、理不尽な言い方に負けずに正しいことははっきり言い返して、しかしそのあとでの別の局面では素直にありがとうやごめんなさいを伝えられる気持ちの切り替えも経験し、相手に好かれて戸惑ったり、逆に嫌われていたとしても動じなくなったりしたのだから、霧の谷に来る前より「できる」、「知っている」人間になれたはずだと思う。


だが、人よりもできる、知っているからといっていばっては、違う場面では「できない」、「知らない」ことが出てきて誰かに手伝ってもらわないと満足に食べることもできなくなることも知ったので、リナは賢く、親切で、しっかりした人間になれたのだろうとも思う。


ではこの物語を読む人間はリナのようにできた人間なのか、霧の谷は必要ないかと考えると、おそらく私には必要だったから読んだのだと思える。必要だったから手に取ったのだろうし、リナと同じように、この本の終わりには終わりたくなくて悲しくなったのだから、リナのような「良い子」になれたのではないかなと思おうと思う。