科学がなぜ発展するかといえば、人類のためになるからであり、人類のためとは、暮らしやすくなって住みやすくなり、より生きやすくなりより死ににくくなるという生存のためと言えるのだと思う。
つまり、科学が発展することで副産物として人類の危機が訪れるとなっても、生存のためだった科学の発展を止めるという選択肢はあり得ないとなってしまう。このまま科学が発展すれば人類の生存が脅かされるとしても、だからといって今すぐ自発的に生存のための科学を捨てるのがいいのかと考えると、誰もそうしたくはないと思うはずだと思う。
では人類の危機をどうするかとなると、人類の危機などやってこないと考え続ける方法がある。これが一番簡単な解決法だと言えてしまうと思う。
しかし危機が訪れないと考えてしまうことすらできないほどに、危機が間違いなく訪れると理解してしまった者はどうすればいいのかについて、やはり原因の科学を止めるのが次の方法と考えられそうなのだが、その科学はもともとは人類の生存のためだったのであるから、みんなで生存を諦めましょうとなるはずはない。
物語を読んでいる分には、それは分かるのだが、今現実の世界で私が見て見ぬふりをしていることはたくさんある。それも分かるのだが、今私がしていることは、この物語を読んで、悪いことは悪いのだからたとえ良く見えようがちゃんと止めるべきものは止める方がいいのではないかと、ただ考えただけである。フィクションを読んでる場合ではないのかもしれないが、読んだだけで済ませている。
その思考で第二章を読み、硬属は人類を滅亡させてもいいどころか滅亡した後のエネルギーを望んでさえいると分かると、途端にけしからんと思い始め、硬属と闘おうとした軟属に共感もするのだが、いざその軟属が生まれ変わって最も優れた硬属になり、硬属のためを思い行動し始めた時、科学の発展は結局自分たちのためだけのものであって、自分たちが助かるのなら他の何かに何かが起きても仕方ないで済ませられるのだなと察した。そう第一章で思ったのだったなと気づいた。
科学を発達させることで現在の危機から救われれば、救った者のことを英雄とか救世主などと呼ぶかもしれないが、神とは呼ばないのではないかと思う。神とは、人間を超えたものであって、信仰つまり信じるべきものの対象となったり、逆に人間に危害を加えるもののことを言ったりするもので、従わせることなどできないものとされてはいるが、大切に接することで日々の生活のあちこちで守ってもらえていると感じたりもする存在だと思う。
よって、この物語での神々自身とは、プルトニウム、タングステン、水素などのエネルギーのことではないかと思う次第である。