ことばはどこまでいってもものごとの表層でしかない

素敵な文章を書くインク先生。


これ、「そうよな~‼️」って思うんだわ。





このニュース、
「神になりたかった」とのこと。



神はさ、自分と別の場所にはいないと私は思うんだわ。


宗教って「心理学」だという。


「よすが」によって自らの心の動きを安定化させるようなもので、その「よすが」をわかりやすく、目に見えるような「カタチ」にしたものだって理解です私は。

だからそう思えばその「よすが」となるものは、別にイエスキリストでなくてめアッラーでなくても釈迦でなくてもいいんですよ。


「神は己の中にあり」

私はそう思うようになりました。


あ、でもそれ別に「私は神だ‼️」とか思ってるってことじゃ全然ないです。(笑)



自分の中に神があるとするなら、信じるものが神だとするならそれはすなわち生において信じるものは「自分である」ということになりますわな。


ただそれだけのことです。


まずは自分を信じること、


でもって、その神は他の誰にも皆あるならばそれもまた信じるということです。


自分を信じられないで、よその誰かを信じようとしてもなかなか信じられないでしょ。


キリストも釈迦の存在もそこに「信じられる何か」を見て、それを内在化させることによって心の安定を図っている、それだけのことです。

自分を見てるだけのことですよ。



あくまでも私の捉え方ですけど。(笑)



今日も好い日であるように。