おはようございます。
今日はフレディマーキュリーのファンにとって特別な日かと思います。
そのことについて書きます。
今日はフレディ・マーキュリーの命日
11月24日ですね。
今日の日を悲しまれる方も多くいらっしゃるかもしれず、書くべきかどうかも迷いましたが…
簡単にではありますが感謝の気持ちや思いを書きたいです。
私にとってフレディを知ったのは彼がもう亡くなったあとなので
映像の中の彼を見たり、本を読んだり、楽曲を聞いたりすることで素晴らしいと感じ感動したり、笑ったり、尊敬の気持ちを持ったりしながら、フレディって今ももしかしたらこのような姿のままどこかで生きてるんじゃないかな、と思う一方で
どうしても会うこと、彼の歌を直に聴くことは絶対に叶わないのだな、、というもやもやとした落ち込んでしまう気持ちをどこかに抱えたままの出会いだったということです。
これはフレディが亡くなってからフレディのファンになった方全員の宿命なのですよね。
あまりにもフレディが生き生きと輝いているので今も生き続けているって錯覚してしまうことがあります。
でも、フレディは今はもういない…
知ったときからそれは事実として付き纏っています。
叶わないものがあることが分かっている分、一種の諦めのようなものはあって、そういう事実を受け止めながら楽曲を聞いている部分は絶対にある気がします。
きっとリアルタイムで生身のフレディを実際にみていたり、生活の中にあるテレビやラジオ、雑誌などでQueenを見て聞いて、Queenやフレディを愛していて、
28年前、フレディの死を知った方にとってはそれを乗り越えることは私が感じるものよりもっともっと辛いものではなかっただろうか…と思います。
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私がいつも感じているのは、フレディは彼の歌う楽曲の中に生きているということです。
その中にフレディをずっと感じてます。
それにブライアン、ロジャー、ジョンの中にもフレディはいるし、アダムの中にもいるのでフレディが歌っていなくても、フレディを感じることはずっとできます。
ずっと彼らと関わってきて一緒に楽曲制作をしてきたのだからQueenの音楽の中全部にフレディが見えてきます。
それはフレディが今を生きる人々のために残していってくれた最大で最高のギフトだと勝手に思って受け取っています。
Queenの楽曲を聴けば、すぐ近くにいるように感じられて寂しい気持ちなどにはなりません。
私にとって映像をみるよりも、楽曲を聴いている時の方がより近くにフレディを感じられている気がします。
Queenの楽しみ方、関わり方が色々ある中で、私はQueenの映像や写真を見たくなることがほとんどないな…と最近になって気づきました。
きっと楽曲からフレディを感じるということを一番重視していて、姿形にはそれほど熱心ではないのかな…と。
(姿を見て特定しない分、想像の中で自分の都合の良いイメージを作り上げたりしている部分もあるかもしれません。)
だからこうして楽曲レビューのブログを書くことにしたのだろうなと感じます。
楽曲の中からフレディを読み解いていくことで
自分らしく生きることに自信を持つこと
自分らしさを恥じないで良いこと
できれば、自分らしさを自分が一番愛しそれを信じること
の大切さを教えてもらっている気がします。
それに、たくさんの愛だったり、物事に一生懸命取り組むことの大切さ、勇気、純粋さ、素直さ、、
他にも生きていく上での色んな大切なことを教わることのできるメンターのような存在に感じています。
ブライアンでもなくロジャーでもジョンでもなく、それはフレディだけに思うことです。
フレディは何を原動力にしてあんなふうに人生を突っ走れたのだろう…?
人を魅了する才能があることを自分でも自覚していてそれによって人々に貢献することを使命に感じていた?
フレディに聞きたいまだよく分からないことは結構あります。
でもきっと聞けたとしても教えてくれない気がします。笑
彼の話した言葉、楽曲の中には多くのヒントが隠れている気がして、自分なりの解釈でその答えを見つけていくしかないとも感じてます。
私はきっと迷ったりするたびにそうして心の中で自問自答するようにしながらこれからもQueenやフレディと付き合っていくのだろうな、という気がします。
最後に、今日聴きたくなった曲は2曲。
『Made In Heaven』から
It’s A Beautiful Day
Made In Heaven
事実かどうかわかりませんがマックさんの息子、リトルフレディに贈った曲とも言われます。