もっと自分の気持ちを

掘り起こしたくなった
teku♪です



母とのことを連日書くと言うとは
抵抗があったのですが
このさい自分の気持ちの奥底を
考えてみたくなりました



母は婿養子をとり家から出たことが
ありません
私が物心つくころから
母と祖母は仲が悪く
諍いが絶えませんでした



子ども心に母が我慢しているように
うつりましたが
祖母の事も大好きだった私は
母に内緒で祖母のもとによく行って
いました



母は毎日イライラしていましたし
当時の父は仕事中心で
趣味やお酒に忙しい日々
家の事は顧みなかったようです



進学を機に家をでました
その後就職、結婚と実家に戻る事は
なかったのですが
転勤でUターンする事になりました



それまでも仲良し母娘というわけでは
ありませんでしたが
帰省するのは楽しみでしたし
母の傍らにはいたように思います



引越しと同時期くらいからです
明らかに歯車が狂いだしたのは



あれから22年が経ちます



その間に何度かトリガーは
あったのですが
祖父母が同じ年に亡くなりまして
今度は母たち姉妹の諍いになりました



相続というやつです



たいした財産もないはずなのに
そんなセリフはドラマの中だやでと
思う言葉が飛び交いました



何故かそこにいつも私がいるのです
母の力になりたかったのです



ですが
好き勝手をいう叔母や叔父に
あきれ返り
それに応戦する母に怖さを感じました



修羅場



それ以来姉妹とは疎遠になってしまった母
今度はこちらを向いてくるようになりました



そして何度かのすれ違いがあり
今日にいたります



ある時
「母の人生を私は生きることができない」
とわかった時から
より添い方が変わりました



母からすれば
薄情に写ったでしょうし
認知症を発症した父を一緒に
見てほしいと思っていたと思います



幸いに
父とは今でも普通に出かけ
普通に話をし
知らず知らず人生訓を言ってもらい
認知症であるものの
まだまだ教えてもらう事がたくさんあります

 


そんな感じでなんとかやってきましたが
今回は兄弟にSOSを出すことにしました




近くにいるから私がという思いが強すぎて
母も自分も苦しいのではないかと
考えたからです



弟は肩透かしなことを言って
笑わせてくれます
妹は昨年の自分にならないように
逃げ道を用意してくれます



これからこんな事を
繰り返していくのでしょう



真正面から受けた母の言葉は
今はまだ痛くて重傷ですが
父のいう
「良く忘れること。忘れたもの勝ち」
ができたらと思います




まだまだ自分の本心には
たどり着かないですが
私も誰かに頼りたかったんだと思います











その昔ガチンコだった義母が
お約束通り
義姉からとドラゴンフルーツを
山盛り持ってきてくれました




ヨーグルトにナッツに蜂蜜を添えてみました



ドラゴンフルーツ
カリウムがたっぷりで身体に
いいそうです



ですが帰りがけ
「血圧計が壊れてるみたい…」と



はいはい
買ってきますね