昨夜、母から調子が悪いと電話が
かかってきました。
話を聞くとどうやら熱中症のようです。
一日中外にいたそうです。
急いで駆けつけると
足下がおぼつかず車まで行けそうに
ありません。




仕方がないので救急車を呼ぶことに
したのですが…。
「ご近所の目が。」
「大袈裟な。」
など、なかなか「うん。」とは言いません。
布団から玄関までが精一杯で
やっと分かったのかお願いする事にしました。
ここまで約一時間。



診察の結果
やはり熱中症だったらしく点滴を
する事になりました。



その深夜の病院の待合室でこのコラムの
事を知りました。









待合室では縁起でもない感じですが
以前、
母との確執の事が書かれた
青木さんのコラムを読んで
ずっと気になっていました。



母親との事はずっと気持ちの奥底で
私の中でくすぶっている事です。
初めはなんとかしなきゃと母の思う
いい娘になろうとしました。
それが無理だとわかると
大きな自己嫌悪となり自己否定と
続いていきました。




ここまで育ててもらった事に
感謝はあるのです。

 

ただ、混じり合う事がないのです。
一つの欲求を満たすとまたその上の
要求があります。
一時はその事を満たすためだけに
過ごした時間もありましたが
疲弊してしまいました。




疲れ果てました。




ブログを始めたのもそんな方って
いらっしゃるかな?
もしかしたら、私の気持ちが
救われる事があるかしらと
思ったのが一つのきっかけです。




帰り道、
熱中症の予防の事はもちろん
持病やこれからの生活の事を
「こうしたら?」なんて話していましたが
「うん。」とは言いません。
そのうち父の話しになり
不満たらたらです。
自慢の夫であったはずの父の認知症を、
だんだんと出来る事が少なくなっていく父を
受け入れれずにいます。




その認知症の父親も行きたそうにして
いましたが
「大丈夫やから待っててね。」と言い残し
病院に行くと何回と着信があります。
この後も何回も電話がかかってきます。
「今から帰る。」と伝えた時は
「よかった。」と安心した声が聞こえて
きました。



母は父が何も出来ないと言いますが
私は自分の存在価値を父がいるから
見失わずにいれるのです。
まだまだ教えてもらう事はあるのです。







パソコンもスマホも使いこなす母
今でも、お叱りや文句はオンライン
出来ます。
ですので、手紙はないかもしれませんが
何かあった事
パソコンを開けると私への手紙が
あるかもしれません。




何とか書くのでしょうか?
そして
それを私は読む事ができるのでしょうか?