腕時計と懐中
割と最近買ったばかりの、普段使いの腕時計が止まった。まさか故障とは思いたくない。店頭に並んでる間も動いていたから、電池が切れたんだろう。まあ、少し前に使っていた普段使いの時計が止まってしまって、修理に行こうかと思ったけれど、気分転換にいつ壊れてもいい安物でも買うかと、本当に安物を買ったから、別段壊れていてもいいのだけど。基本的に、特定の物以外は大事にしない性分で、普段使いするものは、気遣いながら使うのが面倒くさいというタチなので、鞄や靴も安物を買って、テキトーに使って、壊れたらポイしている。今使っているノーパソを買った時も、決め手はスペックと軽さと、「軍隊(陸上)で使われてるくらい頑丈」って所だし。けど、いつ壊れてもいいように買った割には、今回の腕時計は気に入っていて。デザインがね。結構、好みだった。だから、何度かお世話になっている近くの時計屋に、この週末にでも、前の腕時計も一緒に持って行くか、と思っている。止まった時計を見ると、懐かしさを覚えるのは、いつからだっただろうか。昔から、何故だか時計が好きだった。そう、懐中時計。あれに憧れた。小さい頃、首からぶら下げていたっけ。そう。なぜか、じいちゃんを思い出す。じいちゃんの形見の懐中時計を持っていたのか、それとも、じいちゃんの懐中時計を見て、似た時計をせがんで買ってもらって、それを身に付けていたんだったか。どこかで見た記憶だけがある。7:23辺りをさして止まっている文字盤。銀色の懐中時計。確か、水に濡らしてしまったんだったか。時間を確かめようとしたら、止まっていることに気が付いて、それが甚く悲しかったことを、あの時の痛みを、未だに憶えている。止まった時計を見る度に、あの時の記憶と痛みをぼんやりと思い出しては、少々の不安に駆られる。時計が無い生活は、何故だかひどく落ち着かない。デジタルでなく、アナログがいい。文字盤上を針が周る、その形がいい。早く直さないとなあ。