☆日蓮を利用する動きに警戒
末木文美士(2010)「明治三十四年(1901)、田中智学(1861-1939)は従来の怠惰に慣れた宗門を厳しく批判するとともに、新しい日蓮主義を高らかに宣言する。……智学の日蓮主義の核心はその『侵略的態度』にあり、日蓮を大元帥となし、大日本帝国の力で『法華経』による世界統一を果たそうという巨大な野望を推進した」(p10)と、田中智学の日蓮主義が、その後昭和の超国家主義にまで及んだ。要人暗殺を謀った血盟団の井上日召(1886-1967)、石原莞爾(1889-1949)、2.26に連座した北一輝なども熱心な日蓮信者であった。
日蓮は「日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」(御書p919)と厳しい。超国家主義に向かうような場合、宗門も毅然とした態度が要請される。
☆日蓮の再解釈
末木文美士(2010)「戦前における国家主義的な解釈は、戦後、学問的な面でも全面的に見なおされるようになった。その急先鋒に立ったのは戸頃重基であった。戸頃は、日蓮の思想が決して国家至上主義でなく、国家を超えるところに理想を求めたことを明らかにしながら、民主主義、平和主義、合理主義の立場から日蓮の再解釈に努めた」(p16)
筆者は、戦前の日蓮主義の暴走に歯止めをかけるには、戸頃重基のような学者が、日蓮の再解釈を発信したことはとても意義あることだと考える。日蓮だけでなく、偉大な思想家が安易に戦争に利用されないよう、マスコミ等も含めて識者に課された課題は重い、と痛感する。
☆日蓮の国家観は生活者の視点
日蓮は国家をどうとらえていたのだろうか。末木文美士(2010)は「日蓮の言う『国』は人々の生活から遊離したところにある『国家』ではなかった。日蓮は、しばしば『国』に『くにがまえの中に民』という文字をあてている」(p90)と述べている。
末木文美士が記述しているように、「国」の意味は日蓮によれば、統治機構としての国家というより人々、そこに生活する人を指している。それを末木文美士(2010)は「その生活が脅かされ、生活環境が破壊されること、それこそが居ても立ってもいられない切実な日蓮の問題だったのである」(p90)と述べる。
筆者は、日蓮の遺文を正確に読み、実践することが極めて重要だと考える。