儀式中心に疑問の声 | ノートさんのブログ

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6―1 既成宗教の側から

 

 既成宗教の側から、最近、儀式中心の考えに疑問の声が上がり始めている。その他、日蓮を論文のテーマにした筆者としては、日蓮主義の暴走を食い止める手だても極めて重要だと考える。

☆儀式中心の生き方に疑問の声

玉城康四郎(1986)「これまでの仏教が既成教団という特殊の境域にのみ形式的に保持されて、一般の大衆に解放されていなかった点にも起因している。(中略)これを改めて、仏教に導入されていく機会を一般的なものにしなければならない」。

僧籍にある高橋卓志(2009)は「社会に起きている、あるいは起きようとしているさまざまな『いのち』にかかわる難問(四苦)にアクセス(接近)する。そしてその難問に対して、支えの本性(利他心)を発動させ、四苦に寄り添いながら、課題の解決を図っていく、という役割を担うのが坊さんであり、その拠点として寺がある」(p222)と記述し、儀式中心から早く脱却し、「『いのち』にかかわる難問(四苦)にアクセス(接近)」するよう訴えている。既成宗教の側から儀式中心の生き方に疑問の声が上がり始めた。