5―2 「同心円型」の中心にいた日蓮
日蓮は、自分を「同心円型」の中心に置いた。日蓮と弟子との関係は師匠と弟子との関係であり、親分・子分の関係ではない。日蓮は教団のリーダーだったが、弟子を最高に尊重していた。この発想には権威化を排する考えが根底にある。
★我もいたし人をも教化候へ
日蓮の遺文を見てみよう。
「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(御書、諸法実相抄p1360)、「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし」(御書、諸法実相抄p1360)、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」(御書、報恩抄p329)など、師匠も弟子も共に成長しようという趣旨の文章は多く残っている。
日蓮は、自分も生涯、法を求めるので、弟子に対しても共に成長しよう、と訴えた。生涯求道の中に自身の仏界の顕現もあり、弟子たちにも日蓮と同じ道を歩むことを勧めた。
★貫首と衆議の関係
平等主義を表している考えに「日興遺誡置文」がある。これは日蓮の高弟の日興が残したものである。「一、時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。一、衆議為りと雖も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事」(御書、日興遺誡置文p1618)
時の貫首(法主、管長)すなわち、その時代の一番高位の僧侶といえども、法門の勝手な解釈は許されず、多数決だといっても仏法に相違していれば貫首はこれを用いてはいけない、との戒めである。なんと民主的な思考であろうか。この日興の教訓をどう守り、発展させるかは後世の僧俗の極めて重い課題である。それはそれとして、上記の厳密な教えがあって初めて「私はシャカの生まれ変わりだ」とか「おれは今、日蓮だ」との暴走を許さない理論的歯止めになっていると筆者は考える。
★非暴力の流れは生命尊重の仏教思想に影響
ニーラカンタ・ラダクリシュナン他(2009)に「ガンジーは、その点(人間の尊厳と平等)について、次のように書いています。『(釈尊が教えたことは)今日においても、釈尊の在世と同じく、カースト制度の意味するものは、完全に誤りであるということである。すなわち釈尊は、当時ですら、ヒューマニズムの大切な核心を腐食しつつあった、優劣の区別をつける考え方を廃したのである』と。釈尊は、宗教の名のもとに行われる残酷さと暴力が、周囲にはびこっているのを見て、心を痛めました」(p167)と記述する。
人間は差別されることを嫌う。その人種差別と闘った代表的人物にガンジーとキングがいる。ともに非暴力の思想を掲げて闘争した。ガンジーはインドの独立を勝ち取り、キングは黒人の差別撤廃に戦った。
★野間宏の探求したのも
野間宏も仏道を求める僧団が釈尊の時代と同じように、お互いに差別せず信頼し合って修行をしていたことに注目していた。そして、長年にわたって文献を探していた。野間宏(1973)「私は、四、五年前から探しださねばならないものが親鸞にかかわりのある中国・日本の経典のどこかに見出されるにちがいないと考え、どうしてもこれを探し出そうと思い、ようやくにしてそれを手にすることができたが、それは『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』にあった。次の一行である。法師住寺。寺中一切僧所畜用法物道具。咸皆共同。」(p8)、「これこそが釈尊が実現しようと願い、実際に釈尊が実現してみせた僧団の存在を証明するものなのである」(p16)。上記の意味は、寺に住み、共同生活する者の間には何の差別もないということである。野間宏がこの文章を長年にわたって探し求め、そして出あった喜びが伝わってくるようだ。
★「浄土」とは
「浄土」とは、何か。浄土宗では、現実世界は不浄で穢れており,西方浄土こそが真の幸福の楽土である、と言う。爾前経や法華経迹門では、凡夫の住むこの娑婆世界は煩悩と苦しみの充満する世界で仏は決して住まないと説き、十方の国土を仏菩薩が住む浄土としてきた。
釈尊は「法華経如来寿量品第16」で「娑婆世界説法教化」と説く。三枝充悳(2000)『法華経現代語訳』(下)に「わたくしはつねにこの娑婆世界にあって、法を説いて教化し、またよその百千万億・ナユタ・無数の国において、生あるものたちをみちびいて、利益をあたえてきたのである」(p370)と記述がある通りである。筆者も、仏が、苦しみの多い国土即ち「娑婆世界」を重視し、最高の生命尊厳の法を説いた意義は大変重要だ、と考える。
★「不軽菩薩」とは
「法華経不軽菩薩品」には、「不軽菩薩」について説かれている。「不軽菩薩」とは何か。鎌田茂雄(1994)によれば、「常不軽菩薩が説くように、自分を大切にすると同時に、他人を尊重し、他人を愛する豊な心をもちたいものである。」(p428)という。非暴力直接行動で戦ったガンジーやキングの思想も、「不軽菩薩」の実践に近い、と筆者は痛感する。「法華経」には、自分も大切にし、相手をも敬うという二重の生命尊厳の思想が根底にあるからである。
差別を否定した日蓮の思想も「法華経」の生命尊厳からきている。日蓮の偉大さは自分を一段高い存在ととらえず、同心円の中心に置いたことにあると筆者は考える。日蓮は「法華経」を信仰する人間は平等である、と考えていた。