5―3 世界を見据えていた
★日蓮が慈悲曠大
内村鑑三(2004)は「日蓮の大望は、同時代の世界全体を視野に収めていました」(p176)と記述する。日蓮の遺文を確認しよう。
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」(御書p329、報恩抄)。「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」(御書p589、諌暁八幡抄)。
これらの文章で日蓮は、南無妙法蓮華経は時間的には万年以上、空間的には東洋、西洋と全世界にわたって広まっていく、と確信していた。内村鑑三が指摘するように13世紀という時代の制約の中で、日蓮は世界全体を視野に入れていたことは驚くべきことである、と筆者は思う。
5―4 実証性を重んじた
★道理証文よりも現証にはすぎず
日蓮は宗教を信じて現実に変化が起きるかどうか、を重要視した。「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、又道理証文よりも現証にはすぎず」(御書、三三蔵祈雨事p1468)、「青き事は藍より出でたれどもかさぬれば藍よりも色まさる、同じ法華経にてはをはすれども志をかさぬれば他人よりも色まさり利生もあるべきなり」(御書p1221、乙御前御消息)
田上太秀(2000)「ブッダとはどんな悪いこともできなくなった人だとわかりました。なぜならそれが習慣として身についているからです」(p107)。田上太秀の指摘するように、人間の生命は善にも悪にも染まっていく。そのための実践は常に人々のためになる方向が望まれる。それを良い方向に導くためには、生命の尊厳の教えが必要なのである。クリスチャンでハーバード大学名誉教授のコックスも実証性を重んじている。[解説20]
5―5 生活法としての「法華経」
★人間の振る舞いこそ目的
人間としてどのように生きるか、はいろいろな思想で探求されてきた。儒教、特に「朱子学」は天人合一を説き、聖人をめざした。しかし、伊藤仁斎は朱子学を批判し、聖人にはなれない、と「古学」を主張し、性善説の立場で惻隠(=おもいやり)の心を重視し、狭い人間関係を広げていく「拡充」という思想を打ち立てた。それがいわゆる「日本朱子学」である。「おもいやり」の心を広げていくという考えは、現在の私たちの希薄化した人間関係を強い絆で結びつける、極めて優れた発想である、と筆者は思う。
ところで仏教、なかんずく「法華経」は、人間としてどう振る舞うか、を目的としている。日蓮は「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」(御書p1174、崇峻天皇御書)と言い、人間として賢い生き方を訴えている。日蓮の考えを遺文に沿って考察していく。
★世間の生活を離れて仏法はない
「御みやづかいを法華経とをぼしめせ、『一切世間の冶生産業は皆実相と相違背せず』」(御書、檀越某御返事p1295)。
上記の文章は、法華経を信じているものは、一般社会のことにも精通していなければならない。世間の生活を離れて仏法はない、との考え方を示している。正しい法華経の信心をするのであれば、さすが信心している人はどこか違う、すごい、と実証を示して、世間の人から信頼されるよう、日蓮が励ましているのである。
日蓮の教えはどこか人里離れた山の中に篭って修行する方法と正反対である。法華経を生活法として位置づけていた、と解釈できる。
★日蓮が法律のプロ中のプロ
佐藤弘夫(2005)は「富木常忍は下総守護所に勤務する裁判関係のプロである。日々数多くの実務をこなし、訴訟に熟達した人物だった。日蓮はその常忍に対して、細部に立ち入った注意を与えているのである」(p40)と記述している。
日蓮が法律のプロ中のプロだったと見ている。日蓮は「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」を正に地で行っていたのである。現代でも人里離れた所で教祖と共に寝起きし修行するような宗教があるが、その生き方は正に「閉じた宗教の典型」である。
筆者は、「開かれた宗教」は、社会に打って出なければならない。師匠から教わった生き方を現実社会で実践しなければ、宗教の意義が失われる、と主張したい。
★出家の意義
現在の韓国における仏教の僧侶に関する四方田犬彦の言葉を次に引用する。「朝鮮王朝時代には儒教が国教とされ、仏教は激しい弾圧を受け、僧侶は賤民の範疇に組み込まれた。韓国独立後は、朴正煕政権のように庇護を受けた時期もあったが、キリスト教の圧倒的な発展のかげにあって、社会的にはどちらかといえば保守的な立場にある。僧侶となるのは個人の決断によるものであって、厳しい戒律が課せられている」(p76)(『岩波講座 宗教 10 宗教のゆくえ』(2004)。
わが国の歴史を見ると、出家者の肉食妻帯は江戸時代までは幕府から厳しく禁じられており、僧侶の女犯は死罪、遠島を含む重罪だった。しかし、わが国において、その伝統は変わっていった。
★日蓮は出家者に厳しい
出家に関して日蓮の見方は極めて厳しい。日蓮は弟子が出家遁世しようとする考えに否定的であったようだ。「貴賎上下をえらばず」(御書p1304、阿仏房御書)、「男女はきらふべからず」(御書p1360、諸法実相抄)と日蓮の教えにあるように、日蓮仏法には在家出家で差別するという発想はない。
日蓮は出家者には非常に厳しかった。「受けがたき人身を得て適ま出家せる者も仏法を学し謗法の者を責めずして徒らに遊戯雑談のみして明し暮さん者は法師の皮を著たる畜生なり、法師の名を借りて世を渡り身を養うといへども法師となる義は一もなし法師と云う名字をぬすめる盗人なり」(御書p1386、松野殿御返事)と。日蓮は頭を剃ったという外見上の姿より、実質的な中身を重視していたのである。