クリスチャンが日蓮を「全然別の思想」と | ノートさんのブログ

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第5章 日蓮仏法の特色

5―1 「法華経」に絶対の信を置いた

★内村鑑三の日蓮の「全然別の思想」

内村鑑三(2004)は「蓮長は、独力でもってあらゆる権力と抗し、当時勢力を有した宗派とは全然別の思想をひっさげて立ったのでした。その後の日本に蓮長にならぶ僧侶は出ていません。(中略)蓮長の一生に関心が寄せられるのは、その抱懐し弘めた教えのためでなく、そのことを可能にした勇敢なやり方のためであります」(p157)とあります。

クリスチャンの内村鑑三が日蓮の思想を「全然別の思想」と述べている意義は何だろうか。鎌倉時代に起こった諸宗は、中国の天台思想の流れの中にあり、そこから抜け出ることはなかった。それを内村鑑三は「全然別の思想」と表現したのである。筆者は、鎌倉仏教が中国から受け継いだ仏教思想をそのまま受け入れたのに対して、日蓮は独自の「事の一念三千論」を展開したのである。

★日蓮にとっての法華経

佐藤弘夫(2005)「法華経は二八品(章)からなる。この経に着目した中国の天台智顗は、それを前半一四品の『迹門』と後半の『本門』に分け、本門のなかでも寿量品がもっとも重要な章であるとした。日蓮はそうした智顗の思想を前提としたうえで、究極の教えである一念三千の法門は『寿量品』の文の底」に沈められている、と主張するのである」(p221)、

「彼(智顗)はなぜ法華経を諸教のうちでもっと優れたものと考えたのであろうか。それは法華経こそが、万人が成仏できる原理を完全に解き明かした経典であると確信したことによるものであった」(p221222)。

佐藤弘夫が上記で示したように、28品からなる法華経の肝要は、方便品と寿量品である。方便品と寿量品に着目し、一念三千論を展開したのが中国の天台であり日本の日蓮だった。

★釈尊の予言と日蓮の予言

 釈尊は「法華経」で、末法の仏は大難にあうことを予言した。それが、「勧持品第13」の「20行の偈」である。日蓮にとって最大の難は「竜口の法難」(1271912日)である。この法難で日蓮は命を狙われた。

その模様を佐藤弘夫(2005)が「頸の座に据えられた日蓮は、端座して題目を唱えはじめた。そばでは四条頼基の兄弟四人が、その最後の姿を見守っていた。時は丑の刻(午前二時)を回ったころだった。海鳴りの音が異様に大きく響いた。処刑役が刀を抜き、今まさに斬首が行われようとした。そのとき突然、江ノ島の上空に月のような光る物体が出現した」(p196)と記述している。筆者も、釈尊の予言が的中したことは単なる偶然の一致と見ることはできない。

★日蓮の予言の特色

日蓮は二つの難を予言した。その二つとも的中している。予言という語は、何か人為を超えた超越的響きが感じられるが、日蓮の予言の特色は何だろうか。佐藤弘夫(2005)は、「日蓮は釈迦の教えを文字化した経典の中に、国の興廃はそこに流布する教法の正邪に規定されるということが明瞭に説かれている、とみていた」(p166)、「日蓮は『立正安国論』において、『他国侵逼』『自界叛逆』による国土の滅亡を警告する一方、為政者の今後の姿勢次第では、難を克服して『安国』を達成できることを強調するのである」(p168)。

例えば地震学の専門家が科学的根拠の中から地震の将来予測をするようなもので、筆者は、日蓮の予言の中に科学的見方を感じてならない。