ココハドコ? アタシハダレ? -42ページ目

ココハドコ? アタシハダレ?

自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

ちょっと行かない間に、いつもの公園でコスモスが満開。まさに乱れ咲き。なので、またまたコスモス。

 

 

 

 

9月末で緊急事態宣言が解除された。台風一過で晴れ渡った昨日は土曜日でもあり、各地の人出もかなり増えたらしい。私は仕事もあったが、そのあとやりたいこともあって帰りが遅くなった。こんな時に外食しようにも営業が8時までだとちょっとつらかった。それが緩和されただけでもほっとする。

世界の9割がたの国で猛威をふるったデルタ株の新規感染者数がどの国でも減少傾向にあり、新たに猛威をふるいそうな変異株も有力なものは見当たらないようだ。やれやれ、である。

 

自粛疲れで、やれやれと、何度でも言いたくなるくらい、やれやれ。。。ため息が出るね(笑

 

 

 

 

 

 

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多摩川の左岸、石田大橋付近から見た、四谷橋越しの聖蹟桜ヶ丘の風景。あまりまとまらない雑然とした感じも悪くないんじゃないかと、ちょっとUPしてみる気になった。


 

写真を撮ることは趣味かと問われると、どうもそうとは思えない。少なくともカメラ機材について語る蘊蓄はないし、光学的知識もない。知識を深めようともしていない。ただ、ファインダーを覗いて「いいな」と思える絵柄があれば撮る、ただそれだけである。プロのカメラマンやその周辺の業界の人は「フレーミング」とか「フレームワーク」いう言葉を使うらしい。全体の構図のことで、私が気にするのはそれだけなのだが、「いいな」と自分の感性が反応するところは結構狭く、何を撮っても自分では同じに見えてしまう、そういう時にはたまらない気分にさせられる。ストライクゾーンが狭いのである。

ただそれでも、フレーミングの良し悪しはモノクロのほうがはっきりわかる分モノクロにこだわりたい気持ちも強い。そんなこだわりがあるうちは撮り続けてゆくのだろうとは思っている。 

 

 

 

 

 

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セイタカアワダチソウというと、私は山崎ハコの歌う「織江の唄」を思い出す。

 

    ♪♪月見草 いいえそげんな花じゃなか
       あれはセイタカアワダチ草
       信ちゃん 信介しゃん
       うちは一人に なりました
       明日は 小倉の夜の蝶
       そやけん 抱いてくれんね 信介しゃん
       どうせ汚れて しまうけん
       織江も大人に なりました  ♪♪

 

映画「青春の門」の主題歌で作詞は原作者の五木寛之。それを山崎ハコが作曲した。映画は見てないし小説はおろか五木寛之という人の書いたものは何ひとつ読んだことがない。戦前戦後の極貧の中から生まれてくる物語は私には水上勉の「飢餓海峡」や松本清張の「砂の器」(この2作は映画も見てる)だけで十分だったのだ。が、それでも、山崎ハコの歌う「織江の唄」を初めて聴いた時の衝撃は忘れない。情念の持つ重さや暗さが熱を帯びてくる様が山崎ハコの慟哭するような声に乗って、私の魂を揺さぶった。

 

物語の舞台となる時代はもちろん、この歌がうたわれた時代もまだ、男と女の性の営みというものが重い意味を持っていたし、それだけ性に対する倫理感もはっきりしていた。だからセクハラなんて中途半端な言葉もなかった。

 

 

 

 

セイタカアワダチソウは背高泡立草と書く。帰化植物で明治期に日本に入って来た。

花はまだ蕾で萌黄色、それがきれいで撮りに出かけた。花が開くと濃い黄色に変わる。そしたら、また撮りに行く。

 

 

 

 

 

 

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