その243 多摩川散歩(8) | ココハドコ? アタシハダレ?

ココハドコ? アタシハダレ?

自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

 是政橋。ここには思い出がある。まだ小学校にも上がらない頃だったと思う。近所の住宅が集まっての日帰りバス旅行のようなものがあり、その帰り、この是政橋の橋の下で休憩、なんと、子供たちは泳いだのである。砂利の採取などで水流が激変するような危険な場所もあったはずだが、泳いでもいい場所はちゃんと縄張りされており、そこで子供たちは短い時間遊んだのだ。

 

 

学生の頃にも何度か来ており、河川敷の一面ススキの原の冬枯れの風景が好きだった。そのころから思えば風景もずいぶん変わった。ススキは刈り取られ、グラウンドとして整備され橋も新しくなった。感傷が吹き飛ぶつまらない風景になってしまった。

 

 

水際へ出る小道にススキの原のわずかな面影。スズランスイセンが咲いていた。スズランのような花を咲かせるが分類学的にはスイセンに近い。花が咲いてないとニラと勘違いして、持ち帰って食べる人がいるらしい。毒があって重篤な場合には死ぬこともあるそうだ。要注意。

 

 

 

 

橋の上から見る南武線の鉄橋。貨物はこの先南武線と別れて稲城の山中に消えてゆく。調べてみると、どうやら武蔵小杉の先まで長いトンネルが続いているようだ。

 

 

 是政という地名は北条氏に仕えた戦国の武将井田是政に由来する。北条氏の滅亡後この地へ来て、以後この地の開拓に尽力したのだという。その井田是政の墓が東京競馬場に残っている。3,4コーナーの中間、レース実況でよく言う「大ケヤキを過ぎていよいよ4コーナー、、」という、あの「大ケヤキ」の下に墓があるのである。

 

ただ、その「大ケヤキ」もとうの昔に伐採されていて、今立っているのはエノキの大木である。ケヤキもエノキも立ってるとレースが見えないと苦情があって伐ってしまったらしいが、どうゆうわけか、それでもレース実況はずっと「大ケヤキ」で通していた。今、どうなっているのか。私が競馬に興味を失って10年以上、これもまた昔話。

 

 

 

 

にほんブログ村 写真ブログへ

にほんブログ村 写真ブログ モノクロ写真へ

写真日記ランキング