1年ほど前から仕事を休んで、某大学の通信教育で「日本語教員養成課程」というのに籍を置いて勉強している。日本語の教師というのはつまり、日本にいる、またはこれから来ようとしている外国人に日本語を教える仕事で、大卒者なら2年間のコースで27単位を取得すれば修了証をもらえるのだが、そのうち23単位はほぼ確定。
というわけで、全単位取得を待たずに今月から教え始めることにした。ずいぶんいい加減なと思われるかもしれないが、日本語教師で収入を得ようというのはほぼ不可能。国際交流基金あたりがあっせんするような外国の大学の日本語課程とか国内の語学系の専門学校で教える他に収入のあてはなく、日本国内で外国人に日本語を教えている人の80~90%は無収入のボランティアなのである。だから一定のスキルがあれば教えて構わないのである。いや、教えたい人が教えてもらいたい人と友だちになれば、それで済む世界でもある。であるのに、これを今年から「国家資格」にしようという動きがある。どーゆう魂胆か知らぬが、ただでさえ不足している「教え手」を狭き門にしなければよいがと思うことしきりである。
ボランティアで教える人は高齢者が多く、私なんか間もなく「後期高齢者」の仲間入りする年齢で、平均寿命くらい生きたとして、あと10年も人様のお役に立てれば、さほど悔いも残すことなく死ねるんじゃないかと、そんなことも考えたりしている。それも、あくまで「お役に立てれば」の話で「役立たず!」と罵られぬよう祈るばかりである。無論、これまでに得た知識が「教える」現場でどれほど役に立つか不安もある。最初は「教える」ではなく「教え方を教えてもらう」だろう。そういう覚悟はしている。
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さて、厚労省などの資料を見てると、人口減少が続けば2055年前後には日本の人口が1億人を割り込み、かつ65歳以上の高齢者が38%近いところまで上昇しそうである。おそらく出生率の回復に妙案はないのだろうし、労働人口の減少を食い止め、経済の衰退を防ぐには移民政策をとらざるを得ない状況のように思える。
実際、政府は表向き移民政策を否定しつつも外国人労働者の受け入れを進めている。内閣府の統計によると日本に在留する外国人労働者の数は2008年に48万人だったものが2020年には172万人、年平均で10万人づつ増え続けているし、入管の統計では労働者とその家族、留学生なども含めた在留者数は2022年末で280万人に上っている。
つまり、日本語学習の需要はこれからも増え続けるのである。日本の保守系の人々の間では移民政策などとんでもないと考える向きもあるようだが私は心配しない。知らない世界の人間に出会えば警戒心を抱くのは仕方ないが、問題はコミュニケーション能力であって、日本語を理解し意思疎通ができれば大きな問題は起こらないだろう。友達になればいいのだと思う。
確かに、日本文化の美しさとか日本人の道徳的なメンタリティーであるとかあれこれ言う人間はいるけれど、長い歴史の中で培われたものがそう簡単に壊れるはずもなく、日本の良さが本当に「良い」ものであれば「良いものは良い」というのは世界の万人にとって共通だろう。日本人の知らない外国人や外国文化の良さはあるのであって、それを排斥して「日本の良さ」だけに固執しても、まあ、ガラパゴスになってゆくだけの事だろうと思う。
八百万の神々の住まう国 それが日本、と私は思う