その189 ハンナ・アーレントとアイヒマン裁判(覚書き) | ココハドコ? アタシハダレ?

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自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

何か月も前のことだがTV で「ハンナ・アーレント」という映画をやっていた。ハンナ・アーレントというのは哲学者の名前で、それをそのままタイトルにした、つまり伝記映画である。私はこの女性哲学者について何の知識もなく、この映画でそういう人がいたのだと初めて知った。作品がドキュメンタリーではなくドラマである以上ストーリーのすべてが事実の忠実な再現とは思わないが、アーレントの思想の中核になる部分のセリフは実際に彼女がどこかで発言したか、著書の中で述べていることだろうと思われ、多少の興味も湧いたのでこの哲学者に関する本も読んでみた。

この哲学者が考える強制収容所とか全体主義というものが、現在でも色褪せず、日本における難民問題やロシアのウクライナ侵攻などを考えるうえで様々なヒントを与えてくれているような気がして、とりとめもないのだが、以下、その感想のようなものを書いておく。

 

  

 

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ハンナ・アーレント(Hannah Arendt、1906 - 1975)はドイツ生まれのユダヤ人で、学生時代、ナチス台頭期のドイツでマルティン・ハイデッカーやカール・ヤスパースに師事、その後ナチスが政権を取りユダヤ人迫害が始まると1933年にフランスに亡命、さらに大戦がはじまり、1940年にフランスが降伏すると翌41年アメリカに亡命している。フランスでは短期間ではあったが抑留キャンプ(収容所)に入れられている。強制収容所について彼女は次のように語る。

 

「利己心による悪ではなく、もっと違う現象によるものです。人間を無用の存在にしてしまうことです。強制収容所は被収容者に対して無用の存在であると思い込ませ殺害しました。強制収容所での教えです。犯罪行為がなくとも罰は下せる。搾取が利益を生む必要はない、労働が成果を伴わなくても構わない。強制収容所とはいかなる感情もその意味を失う所です。無意味が生れるところとも言えます。」                 

(映画「ハンナ・アーレント」)

 

アーレントは、「全体主義とは何か」ということについてその定義らしきものは著作の中でも書いていないらしいが、

「全体主義的政治制度を他の政治制度から根本的に区別するものは強制収容所である」とし、

「強制収容所は、この政治制度に本質的なものであり、かつ独自のものであった」としている。

   (「漂泊のアーレント 戦場のヨナス」戸谷洋志 百木漠共著 慶應義塾大学出版会)

 

そのアーレントが最も注目され、同時に激しい論争を巻き起こしたのはイスラエルにおけるアイヒマン裁判を傍聴したそのレポート記事『イエルサレムのアイヒマン~悪の陳腐さについての報告』で、映画もこの裁判とレポート発表時期のアーレントを軸にストーリーを展開している。
このアイヒマン裁判の被告アドルフ・オットー・アイヒマンというのは、ゲシュタポのユダヤ人移送局長官で、アウシュヴィッツ強制収容所へ数百万人におよぶユダヤ人の移送を指揮した、その責任者である。ホロコーストに関与し、戦後、アルゼンチンで逃亡生活を送っていたところを、イスラエル諜報機関(モサド) につかまりイスラエルに連行された。1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われ

て裁判にかけられ、同年12月に有罪、死刑判決が下され、翌年5月に処刑された。

 

さて、アーレントへの批判の第一はアイヒマンの犯罪に対する理解=「悪の陳腐さ」(訳によっては「凡庸さ」とも)に対するもので、映画の字幕をそのまま引用するとアーレントの理解は次のようになる。

 

『彼は検察に反論しました、何度も繰り返しね。
「自発的に行ったことは何もない、善悪を問わず自分の意思は介在しない、命令に従っただけなのだ」と。こうした典型的なナチの弁解で分かります。世界最大の悪はごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく信念も邪心も悪魔的な意図もない、人間であることを拒絶した者なのです。そして、この現象を私は「悪の凡庸さ」と名づけました。』  

                  (映画「ハンナ・アーレント」)

 

映画には実際の裁判の記録フィルムが使われており、そこでのアイヒマンは、ユダヤ人被害者の証言を聞いているときは苦虫を噛み潰したような顔をしている一方で、自らが証言するときははっきりした声で堂々と無罪を主張しているように見える。

 

アイヒマンは判事の質問に次のように答える。

「そのとおりです。なにしろ戦時中の混乱期でしたから、皆思いました。上に逆らったって状況は変わらない。抵抗したところでどうせ成功しないと。仕方なかったんです。そういう時代でした。皆、そんな世界観で教育されていたんです。叩き込まれていたんです。」  

          (映画「ハンナ・アーレント」)

 

自分は反ユダヤ主義者ではない。官僚として上の命令に従っただけのことで、ほかにどうしろというのか、そういう時代だったのだという主張に、「人道に対する罪」や「戦争犯罪の責任」が成立するのか、これをどう裁けばよいのかというのがアーレントの投げかけた疑問だったが、この小役人が犯した罪を「凡庸な悪」と名付けたあたりがアイヒマン擁護と受け取られたようである。

どうやら裁判ではアイヒマンが役人としての立場を超えて、より以上に積極的にこの犯罪に加担したという証拠は示されなかったらしい。それでも多くのユダヤ人がアーレントの報告には反発した。直接手を下してはいなくてもホロコーストのいわば主役のひとりである。ナチスの犯した巨悪が暴かれると期待した向きも多かっただろう。心情としては当然死刑である。アーレントに対する批判も感情的なものが多かったようだ。

 

こうした批判についてアーレントは次のように答える

「アイヒマンの擁護などしてません。私は彼の平凡さと残虐行為を結びつけて考えましたが、理解を試みるのと許しは別です。この裁判について文章を書く者には理解する責任があるのです。

(映画「ハンナ・アーレント」)

 

あるいは「あなたはユダヤ人なのにユダヤ人を愛してないのか」という批判には

「私は今までの人生において、ただの一度も何らかの民族あるいは集団を愛したことはありません。ドイツ人、フランス人、アメリカ人、労働者階級など、その類の集団を愛したことはないのです。私はただ自分の友人だけを愛するのであり、それ以外のどんな愛も私にはまったくありえません。」

 (「漂泊のアーレント 戦場のヨナス」)

 

と、答えている。本の著者はこのアーレントの態度について説明を加えている。

「無前提に人々を「民族」や「集団」のうちに包摂し、その一員であるからにはその「民族」や「集団」に対して愛情を持つのが当然だ、という思考法に対して彼女は強い否を突きつけていたのである。その点ではナショナリズムも民族主義もマルクス主義も大差ない。そうした「全体」のうちに「個」を取り込もうとするイデオロギーに対して、アーレントは徹底した嫌悪を示した。」

 

どんな集団にも包摂されることのない断固として独立している「個」、そういう立場からの裁判理解であり、アイヒマン理解なのである。アーレントはホロコーストの被害者であるユダヤ人でありながら、ユダヤ人の心情には距離を置いて確固たる「個」としてアイヒマンだけでなく裁判全体を理解しようと試みる。

「この裁判について文章を書く者には理解する責任がある」という言葉通りに。

 

だから、裁判で明らかになったホロコーストにおけるユダヤ人協力者の問題も取り上げて、全体主義体制の下では迫害者だけでなく被迫害者側のモラルの崩壊がなぜ起こるのか、真剣に考えなくてはならないと訴えている。

 

「ユダヤ人指導者はアイヒマンの仕事に関与してました。彼らは非力でした。でも多分抵抗と協力の中間に位置する何かはあったはず。この点に関してのみ言います。違う振る舞いができた指導者もいたのではと。そして、この問いを投げかけることが大事なんです。

ユダヤ人指導者の役割から見えてくるのはモラルの完全なる崩壊です。ナチが欧州社会にもたらしたものです。ドイツだけでなくほとんどの国にね。迫害者のモラルだけではなく被迫害者のモラルも。」

(映画「ハンナ・アーレント」)

 

また、なぜイイスラエルで裁判をするのか、属地主義にならうならドイツで裁判をすべきであり、これは時のイスラエル首相ベングリオンの政治ショーであるという批判もしている。これらの事もユダヤ批判、イスラエル批判としてアーレントへの攻撃を加速させたようである。

 

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さて、全体主義とは何だろうか? Wikipediaによると

「個人の自由を認めず、個人の生活や思想を国家全体の利害と一致するように統制を行う思想または政治体制である。通常、この体制を採用する国家は特定の個人や党派または階級によって支配され、その権威には制限が無く公私を問わず、国民生活の全ての側面に対して可能な限り規制を加えるように努める。」とある。

 

このような政治体制には、それに従わない人間、統制からはみ出す人間というものがかならず出てくる。だから、はみ出す人間を管理するために強制収容所が必要なのである。国民全体が同じ方向を向いてる、そういう体制には同じ方向を向こうとしないものを体制の枠外において管理する必要がある。

この体制の枠外に置かれた状態は「例外状態」と呼ばれ、そこでは法権利は無効となる。

 

「例外状態を設定することなしに実効的な法の支配は行えない点が重要なのである。規則が規則として成立するのは、例外状態があるからである。例外が規則にしたがうのではなく、規則が自らを宙吊りにすることで例外に場を与える。規則はこのように例外との関係を保つことによってはじめて、規則として自らを構成するのである。」

(「難民研究ジャーナル No.8 序論 収容、制度化と被収容の経験」 久保忠行)

 

アーレントが強制収容所を全体主義の本質と考えた根拠はこの「例外状態」が生まれる必然性に着目したのだろうと思われるが、例外のない規則はないように、どんな国家の法にも例外はあり「例外状態」は存在する。「例外状態」は全体主義国家だけで起こるものではない。ナチスの強制収容所だけでももちろんない。中国のウイグル人収容施設もアメリカのグアンタナモ基地の収容施設もそうだし、日本の難民収容施設もそうである。今、ウクライナ難民を積極的に受け入れているポーランドもアフガニスタン難民は受け入れようとしなかった。国境から国内に入れずそこに放置したのもひとつの「例外状態」であろう。

 

そして、「例外状態」が世界のいたるところで見られるとするなら、現代のアイヒマンもいたるところにいるだろうということを私は考える。アーレントはアイヒマンについて書いている。

 

自分の昇進には恐ろしく熱心だったということのほかに彼には何の動機もなかったのだ。そうしてこの熱心さはそれ自体としては決して犯罪的なものではなかった。 

 

アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人々が彼に似ていたし、しかもその多くの者が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだったし、今でもノーマルであるということなのだ。

 

俗な表現をするなら、彼は自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかった。(中略)彼は愚かではなかった。完全な思考欠如――これは愚かさとは決して同じではない――、これこそが、彼をあの時代の最大の犯罪者の一人とさせた要因だったのだ。

     (「漂泊のアーレント 戦場のヨナス」)

 

どこにでもいそうな官僚の姿で、だからこそ今日的な問題ともいえるのだと思う。

アイヒマンはイスラエルの検察が起訴した15の罪状すべてで有罪とされ死刑判決を言い渡された。

アイヒマンは判決を下されてもなお自らを無罪と抗議しており、その模様は記録映像にも残されているという。おそらくは最後まで・・・

 

―― 完全な思考の欠如 ――

 

「思考の風」がもたらすのは知識ではありません。善悪を区別する能力であり美醜を見分ける力です。私が望むのは考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても考え抜くことで破滅にいたらぬよう。  

                                           (映画「ハンナ・アーレント」)

 

 

 

 

 

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