このところ私事でちょっと忙しい。コロナで自粛していた外出もあれこれスケジュールを組んでいて、年末くらいまでは休日も家を空けることが多くなりそうだ。そんな中、コロナ前から「会いましょう」と言っていた知人のお宅を訪ねた。
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彫刻家として知られている後藤信夫さん、仕事を通じて知り合って、以来懇意にしていただいている。その後藤さんをご自宅までを訪ねたのは、後藤さんが数年前に大病にあわれて、外出されるのも大変だろうという事もあったのだが、私としてはむしろご自宅に構えられたアトリエの空気を胸いっぱいに吸いたいと思ったから、と言えばよいだろうか。
私はアトリエと呼ばれるような場所が好きで、ある高名な版画家のアトリエを見学させてもらったこともあるし、若いころにはある劇団のアトリエにほとんどホームレス状態で転がり込んでいたこともある。どこにあってもアトリエと呼ばれるような場所には、人が自らの手で物を一から作ってゆく、何か非常に健康な人間の臭いがある。そこで作られるものが芸術作品であろうと工芸品であろうと問わず、「手」と「想像力」の共同作業という、本来誰でもが持っている人間の基本的な能力、そして行為。「なりわい」とでもよぶべきものを思い出させてくれる、そんな場所なのだろう。
(画家 中村彜(つね) 頭像)
後藤さんの作品の多くは鋳造作品で、粘土で形を造り塑像にし、そこから石膏で鋳型を取る。作る作品の大きさにもよるが結構な力仕事で、さすがに最近はそうした力仕事からは距離を置かれているようだが、代わって木彫を始めているという。「なりわい」に定年などない。作る意欲があれば作れるのであり、それはほとんど「生きる意欲」と同義ではなかろうか。ふとそんなことを考えた。
(オグリキャップ)