ある時、あるところで「IT」を「イット」と読んだ人がいると聞いた。それを聞いてあなたはわらいますか?
わらった人に尋ねましょう。
あなたは笑ったのですか? それとも
あなたは嗤ったのですか? いや、もしかしたら
哂った? それとも呵った?
この4つの「わらい」はすべて少しづつ意味合いが違います。ニュアンスの違いと言えばいいでしょうか。その違いはご自分で調べていただくとして、同じ「わらい」でも、いろんな意味を持つのが言葉というものです。文字でなくても、しゃべり言葉なら「アホ」といえばその言い方によって意味は千差万別なものになるのはご存知の通り。
では、「IT」は「アイティー」と読むんだと答える人はそのアイティーの意味を知ってるんでしょうか?
「IT」は「Information Technology」の頭文字ですが日本語では「情報技術」と訳されています。英語で「情報」を表す単語は他に「intelligence」というのがあります。しかし「IT」は「Intelligence Technology」ではありません。スパイで有名なアメリカのCIAは中央情報局と訳しますが、こちらは「Central Intelligence Agensy」で「intelligence」を情報と訳しています。InformationとIntelligenceにもおそらく使い方に違いがあり、英語圏の人たちはちゃんと使い分けているのだろうと思いますが、我々日本人は、そのあたりの違いにまでなかなか気づくことがありません。
言葉が本来持っている意味やその広がりを理解しようともしないで、頭文字だけを並べて「アイティー、アイティー」とはやし立てる、そうなると「IT」というのは言葉というよりも、もはや記号といったほうがいいのではないでしょうか?
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世の中には頭文字を並べただけの記号といったほうがいいような言葉が氾濫しています。
AI VR GDP FX DX EC SNS SDGs CEO
ニュースサイトでも開けば毎日どこかで見ることができる、略語としてはかなり簡単な初級クラス。どんな英語の頭文字を並べたものか、大雑把でもいいですからどんな意味の言葉なのか、全部答えられる人はどのくらいいるのでしょう?
とりあえず、簡単ですが答えらしきものは以下の通り。
AI artificial intelligence 人工知能
VR virtual reality 仮想現実
GDP gross domestic product 国内総生産
FX foreign exchange (外国為替から転じて) 外国為替証拠金取引
DX digital transformation デジタルトランスフォーメーション(デジタル化)
EC electronic commerce 電子商取引
SNS social networking service ソーシャル・ネットワーキング・サービス
SDGs sustainable development goals 持続可能な開発目標 (エスディージーズ)
CEO chief executive officer 最高経営責任者
AIを「アイ」と読んだらやっぱりわらうよね。でも、なんでAI(エーアイ)なんだ?人工知能のままでいいじゃないか?「情報技術」や「電子商取引」じゃいけないのか?
DXがデジタルトランスフォーメーションて嗤っちゃわないか? デジタル化でいいじゃないか。言葉を見てくれ良くカッコつければ生産性が上がるとでも思ってるのだろうか?
CEOは最高経営責任者と訳しますが、会社法にはそんな名前は出てきません。会社法上、経営に関して最も大きな責任を負うのは「代表取締役」とか「代表執行役」といわれる代表権を持った役職に就く人であってCEOというのは社内的に作った職制のひとつにすぎず、法的には何の権限もない。株主総会やら取締役会の議決は経ているから役職として機能はしてるんだろうが、一般人から見ると、「え?どっちがえらいの?」「本当の責任者は誰なんだよ?」と混乱させるだけ。つまるところ会社の自己満足としか思えないのですがいかがでしょう?
日本の生産性は先進国でも最下位クラス。経済関連のニュースではしばしばこのことが話題になる。どうすれば生産性が上がるか、私にはわからないことだらけだが、こんな略語ばかりが次から次へ増えていくというのは生産性を下げることはあっても上げることにはならないだろう。理由は簡単で、理解できない記号を並べてしゃべられても部外者は協力する気になれない、企業がいくら立派なそれらしき言葉を並べても理解できなければ顧客だって消費者だって協力しようとか応援しようとか、そんな気になれないだろう、それでは意味がない。本来味方につけるべき一般の人々から乖離して、実は孤立している、一般人から見るといくら素晴らしい会社であってもどこかよそよそしさを感じざるを得ない、そういうことに気づいてないのだ。
私は趣味でわずかな小遣いを株に投資してるのだが、どんな企業でも決算説明会の資料なんて略語だらけで一体誰がこれを理解するんだろうといつも思う。大株主や銀行、自分たちだけがわかったような顔をして、個人投資家なんて眼中にないのではないか。嘘だと思うならどこでもいいから上場企業のサイトを開いてIR情報というページから入って見てみると良い。専門用語というより専門略語といったほうがいいような言葉が満載の、フルカラーで体裁だけは整えた決算説明会資料を見ることができるだろう。
ちなみに「IR」とはInvestor Relationsの略。「投資家向け広報」と説明しないと普通知らないでしょこんな略語、意識しないでもう入り口からして人を選別してるんですね。それに気づこうとしない。
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ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』、「ネバー・エンディング・ストーリー」というタイトルで映画化された。物語の主たる舞台は幼ごころの君が支配する国「ファンタージエン」。その夢の国が「虚無」の拡大によって崩壊の危機に晒されるというお話である。
本来、言葉とはそれが生まれた時からの歴史があり、色も匂いもある、背後に広がる世界があるはずのものだと思うのだが、略語にはそれがない。ただの記号にすぎず背景には何もない、「無」である。氾濫する横文字の略語をみて「無」が「言葉」を侵食していると言ったら、大げさだろうか?言葉の世界というファンタージェンが「無」によって破壊されていると言ったら妄想と言われるだろうか?
略語を使いこなすのは知性ではない、ただの怠慢である。私はそう思う。そういう言葉に対する怠慢な態度というのはメールやチャットの短文において明らかで、言葉でまともに感情表現できない人々が、絵文字という記号に頼るより他なくなっている。
おそらく言葉を使うというのは、そんなに簡単なことではないのだろう。人間という言葉の使い手がそもそも複雑な感情を持ち、複雑な行動をする生き物なのだから、言葉を使うのは難しい事であって、簡単なはずがないのである。それが、生まれた時から徐々に成長してくる過程で、何でもかんでも省略することばかり教えられ、それが「合理的」という呪文のような言葉に支えられていれば、だれだって言葉で何かを伝えるなんてことも極力省力化したくなるのだろう。しかし、当然の事ながら言葉をできるだけ簡便にして使わずに済むところは使わない、そんな省力化が言葉の貧困を生むのは必然で、言葉の貧困はコミュニケーションの貧困を生む。
言葉を失うと何が生まれるか。暴力である。人に殴りかかる暴力は言葉が途切れた時に始まる。SNSやブログでよく有名人が槍玉にあげられ炎上する。何の根拠も無く自分の勝手な思い込みだけで他人を誹謗中傷する、これも明らかな暴力だと思う。こういった誹謗中傷を平気でする人たち、確信を持って言えるわけではないが、おそらくこういった人たちは自分を表現する言葉というものをとうの昔に失ってしまった人々なのではないか、私にはそう思えてならない。
誰にだって人に理解されたい自分というものがあるだろう。それをどう表現すればわかってもらえるか。言葉という本来、表現の手立てになるものを持っていながら使い方がわからない。
それって、むちゃくちゃ悲しくないですか?