その48 奈良・明日香へ 回顧 あるいは歴史について | ココハドコ? アタシハダレ?

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自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

 

ここ数年、折にふれ一眼レフをいじってたので写真を撮りに行きたいと思った。それが旅に出たきっかけで特に歴史趣味があるわけではない。折にふれ歴史小説を読むことはあったが日本の歴史に深い知識があるわけではなく、古代史への憧憬のようなものも少しは持っていても、遺跡から出る土器とか埴輪とかそんなものに心躍らせる子供の頃の好奇心とそう変わるところもない。まして神社仏閣の縁起とか宗旨とか無宗教な私には無縁な世界で、結局は遺跡や千年、千五百年という時の流れに耐えてきた仏像や寺院建築から「歴史」というその時間の流れを少しでも感じることができればそれで満足できるものではあった。

 

ところが、、、である。私のそういう単純極まりない期待もけっこう裏切られることが多かったのも事実で、たとえばレプリカ。中宮寺の菩薩半跏像は他所で展示のため不在、代わりに置かれていたのがレプリカでご丁寧に二体もあった。いつどのようにして造られたかは尋ねなかった。唐招提寺の鑑真和上像も不在でレプリカ。こちらは本物の和上像と同じ脱活乾漆という古い技法で造像されている。が、レプリカであることに変わりなく、それでもお経をあげて開眼法要をすればお参りする価値のあるもの、魂の入った仏様という理屈にはなるのだろう。しかし、そこには私が感じたいと思う「歴史」はない。本物と寸分たがわぬ精巧な複製品、それを作るなら今は3Dプリンターがある。3Dプリンターでどんどん造ればいいと思うが、そうやって造ったものを私たちは拝む気になれるだろうか?

 

私には仏様を拝むという習慣はない。古い歴史を持ったお寺などにたまに行く機会があれば、たしかに手を合わせるくらいのことはする。手を合わせるその短い時間というのは目の前の仏像が阿弥陀如来か薬師如来か、はたまたお地蔵さんか観音さんかそんなことは関係なく、ましてご利益など思ったことすらない。ただほんの一瞬、我に返って自分をみつめるというか、そんな自分に対する祈りに似た時間であるように思う。そしてそういう祈りのような時間をもたらすもの、そういう気持ちにさせるものこそが、「歴史」という時間の重みなのではないか。私はそう思う。3Dプリンターで造ったって千年後だったら拝む気になるだろう。「歴史」という悠久な時の流れに耐えて残ってゆくものの、見る者にうむをいわせぬ力、凄味のようなものがそこにあるように思う。

 

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もうひとつは公園化された遺跡。史跡として何か残す、あるいは保存する、それはそれで学術的にも文化的にも重要なことなのだろう。歴史的な建造物を復元するとか保存するとか、こうした活動を人はいつの時代から始めたのか知らないが、保存には保存の方法があり、保存の歴史があるだろうと思う。それがどんなものか知らないが、少なくとも公園にしてしまうことではないだろう。たとえば平城京趾。大極殿など再現する意味がよく分からない。もしかしたら、これは教育目的なんだろうか?

「8世紀、奈良時代にはここに都があり、天皇の住まいは大極殿といい、こんな建物に住んでいました」歴史教育というのはそんな細かい知識をひとつひとつ詰め込むことなのか?

歴史教育とは文字通り歴史とは何かを教えることではないのか?

歴史は遺跡として表れている。遺跡に厚化粧させて遺跡ではない何か別のもの造り上げるのは遺跡の破壊ではないのか?そんな気がしてならない。

 

工事現場などで地中を掘削していると古代の住居跡や土器などが発見されることがあって、そうすると工事を中断して遺跡調査が行われる。調査が終わるまで工事は進めることができないが、終わってしまえば工事は再開、遺跡は埋められてしまう。どのような法律が根拠になって調査が行われるのか知らないが、その土地が民間のものであれば本来の所有者に返すのは当然の事だし、遺跡が埋められ工事が再開するのも健全なことだろう。残るのは発掘された埋蔵物とそれが何でありどのように処理されたか、その記録だけである。私はそれでいいと思うし、遺跡は埋められていいと思う。

 

掘り出された遺跡が人々に見てもらうだけの価値があるものだとしたら掘り出されたそのままの形で見せてもらいたい。それが歴史を感じ、歴史を知る最良の方法だと思う。遺跡の上にかって存在したもの、その再現が重要だというなら、想像図をパンフレットに載せればいいし、CGでネット上に公開もできる、遺跡発掘のその場所でやるなら、これからはせめてVRにできないか。平城京趾には資料館もできている。そういう場所で貸し出せばいい。

 

「歴史」とは何か?

 

私たちは日本人なら日本人という民族の長い歴史によって培われた文化、伝統あるいは精神的遺伝子とでもいうべきものの影響をいやおうなく受けながら生きている。世界中の人々がそれぞれの属する社会の遺伝子を身にまとって生きており、もちろんそこには人類にすべて共通する遺伝子もあるだろう。世界には多様な精神的遺伝子があり、それらが互いに影響を与えながら良い事も悪い事もないまぜにして現代という時代を表現している。だから我々は歴史を見失ってはいけないし、自分たち民族の歴史とも世界の歴史とも向き合う時間は必要だと思う。あるがままの姿でそれと向き合うことが大切なのだ。

 

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「歴史」は過去だけではない、未来にもある。やがて我々の時代も遠い過去になってゆく。

 

千年後を想像してみるといい。

「平城京趾」という名の「厚化粧した遺跡」が遺跡としてそこに現れることになる。

その時に「平城京」の何たるかが記録に残ってればまだいいが、デジタル化されたデータなど次から次へと簡単に捨てられてゆく。簡単に残せるものは、また同じように簡単に捨てられてゆくのだ。千年もたてば途中で核戦争だってあるだろう、そうなれば国会議事堂もスカイツリーも遺跡になってる。高松塚古墳だってキトラ古墳だっていずれ「公園にされた墳墓」という遺跡になる。

 

未来に向かって遺すべきは、一体何なのか?

50年、100年ではない、千年も万年も先まで歴史は続いてゆく。

そのことが真剣に議論されたことはあるのだろうか?

 

今の私にはそういう疑問しかない。

というのが、正直なところ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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