ココハドコ? アタシハダレ?

ココハドコ? アタシハダレ?

自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

 新宿大ガード西交差点。なんか、風景が違うなぁ・・・・

 

 

 あ、小田急がない!エンパイアステートビルをまねたような悪趣味のビルが間近に見える。

でも、このヌケ感は悪くない

 

 

ハルクの2F遊歩道に上がったら東口のルミネが丸見え。いいね、いいね、この突然風通しが良くなった感じ悪くない。気に入った。

 

別に小田急デパートなくても困らないし、もうビル建てなくていいんじゃネ??

 

 

京王線沿線に住む私は、都心に出るときは必ず新宿を通るのだけれど、新宿の街を歩くことはほとんどない。つまり、大抵は地下道を歩いてJRや地下鉄に乗り換える、その通過点に過ぎない。西口の地下はこのところずっと工事が続いていて、迷子になりかけるときもあったのだが、地上がこんなになってるとは知らなかった。小田急デパートの建て替えはニュースでは知っていたけれど、早くもこうなっていたとは、、、、

 

 

 たまたま仕事の現場が西新宿で久しぶりに地上に出たわけだが、そんなことがなければ新しいビルができるまで気づかなかったりして、、、、(笑

 

 完成は29年とか。高層ビルができるらしい。

 

*****

 

 いつだったか、これからのTVはどうなると尋ねられて、北野武が民放も課金制になるだろうと言っていた。ネット上のニュースフィードで、発信元を確認しそこなったが、個人的にはそうあるべきとずっと思っていて、ちょっと嬉しかった。そしたら、今、フジTVの騒ぎに便乗したホリエモンが、かってフジTVを買収しようとしたときにはサブスクにするつもりだったと言ったりしている。

 

 フジTVの騒ぎでは「TV局という報道機関としてあるまじき・・・」みたいなことを言う人がけっこういるのだが、スポンサーだよりで視聴率を至上命題に据える企業が報道なんてまともにできるはずがなく、実質「興行機関」といったほうがいいくらいだろう。芝居、歌、踊りなどの興行なら芸人たちの間で何があっても不思議ないし、そこに興行主が一枚も二枚も噛んでいたところでごくごく自然な事のように思える。興行であればファンはひいきの芸人のいいところばかり見て裏の顔なんて見たくもない、それが自然な反応だろう。事実がどうであったか、なんて関係ないのだ。

 

*****

 

 TVが報道をまっとうにできるようになるためには視聴者の支えが欠かせない。スポンサーへの忖度、政界への忖度、そういったものを跳ね返していけるのは視聴者の力しかありえないだろう。そのことは近頃のSNSの興隆を見れば歴然としている。課金制といってもサブスクといってもいいが、できれば番組単位になってほしいものだと、そんなことを考えている。

 

*****

 

 表裏一体という言葉がある。つまり、裏のない表とか表のない裏など存在しない、ということだ。一枚の紙切れのどちらが表でどちらが裏か、どっちがどっちでも構わないが、それと同じで人間の性格にも表があれば当然裏がある、私はそう思っている。すべての人間についてそう思う。容易に見せることのできない裏の顔が誰にでもあるのだ。そして中居正広には中居正広の裏の顔があって、たまたまそれが暴発したそういうことだろう。

 中居正広は「解決金」を払い、更に引退を余儀なくされた。その声明文でも改めて謝罪をしている。彼の加害意識は確かなのだろう。この声明文を読んで感じたのは、彼が開き直っていないことである。あるいは、これまでは開き直っていたのかもしれない。それが開き直れなくなった。いずれにしても「開き直る」とは己の中の見るべきものから目をそらすことであり、開き直り続け、いろいろなものから目を背け続けると当然視野は狭くなるし、人格にはゆがみを生ずる。開き直っていいことなど何もない、人間的な豊かさを削り取られてゆくだけのことなのだ。

 

 私はSMAPなど見たこともなければ、そこにどんなメンバーがいて、彼らがどんな個性を発揮していたかも知らない。歌ったり、踊ったりしてたらしいがとにかく見たことがない。だから中居正広がどんな人間かも知らない。ただ先入観なしに声明文を読んで、加害意識だけは確かなようで、その自分の暴発した裏の顔と真摯に向き合えば、この人は復活できるだろうなと、漠然とそう思った。

 そういう方向に彼を応援できないファンや芸能人仲間っていったい何なんだろうと、そう思う。

 

 

 

 

 

 

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二ヶ領用水宿河原堰の下流1㎞ほどのところに広がる石の河原。住所は宿河原5丁目あたり。川幅が狭くなり、流れは深く速い。

 

 

 

対岸の狛江市駒井町あたりは、やや切り立った崖に近い地形でテトラポットが置かれている。地盤がえぐられないようにしてるのだろう。この崖の上には民家が立ち並んでいるのだ。

 

 

宿河原という地名は古く、14世紀、吉田兼好の「徒然草」に登場する。

 

その第百十五段はこんなふうに始まる。

「宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集まりて、九品の念仏を申しけるに、、、、」

(「新訂 徒然草」岩波文庫)

 

 「ぼろぼろ」とは「非僧非俗の無頼乞食の類で、徒党を組み、山野に放浪した類の人々。」

と脚注されている。そんなぼろぼろの集まる念仏道場が宿河原にあったらしい。その道場に「いろをし」というぼろを訪ねて「しら梵字」という者が来て、殺された師の恨みを晴らしたいと言う。仇討ちである。

 「いろをし」はいさぎよく、道場を汚すことはできないから前の河原でと答え、ふたりは河原で「心行くばかりに貫き合ひて、共に死にけり。」とある。

兼好は何を考えたのだろう?

「世を捨てたるに似て我執深く、仏道を願うに似て闘諍を事とす。放逸・無慙の有様なれども、死を軽くして、少しもなずまざるかたのいさぎよく覚えて、人の語りしままに書き付け侍るなり。」

 

 

 世を捨てたように見えて我執深く、念仏修行するとみせて闘争を事とする、そんな破綻した者が、どういうわけか死ぬことを何とも思わない、そのこだわりのない生き方がいさぎよく思われて書き付けたというが、その「いさぎよさ」を称賛するでなく、非難するでもなく、感心したわけでもあきれたわけでもないだろう。そのあたりの兼好自身の機微には触れていないように読める。ある種、言葉にならない複雑な感情を、言葉でどう表現すればいいのか。論評のしようがないから「人の語りしままに書き付け」るよりほかなかった。そういうことなのだろう。

 

 小林秀雄はその名文「徒然草」の最後を、

 「徒然なる心がどんなに沢山な事を感じ、どんなに沢山な事を言わずに我慢したか。」という有名な一文で結んでいる。

 言えることを言わずに我慢したのではない。どれだけ言葉を紡いでも伝えることのできぬ思いなら、言葉にしないほうが良い。無理やり言葉にしたところで誤解の種をまくだけのことだ。だから我慢したのではなく、我慢せざるを得なかったのだと、私はそう思う。物書きがする言葉との「格闘」がそこにある。

 

 誰でも気楽に発言できる現代、言葉にできないことも安直に言葉にしてしまう時代。何かを言ってるようで、結局は何も言えていない、そんな無意味な文章があふれかえる時代に私たちは生きている。

 

 

「いろをし」と「しら梵字」が「心行くばかりに」切りあった河原はこんな石の河原だったか、葦の生い茂るような河原だったか、写真を撮りながら、そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

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あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

 そういや、今年は昭和100年とか。つまり昭和は1926年に始まったわけだが、大正天皇が崩御されたのは12月25日で、このクリスマスの日にすぐ改元がなされている。つまり昭和元年はほんの1週間しかなかった。改元にあたっては東京日日新聞(現毎日新聞)が新元号は「光文と決定」という誤報を号外で流し、5銭で飛ぶように売れたと毎日新聞発行の「昭和史全記録」という大冊の冒頭にある。

 

 昭和100年と聞くと、私は1968年に「明治100年」という式典があったのを思い出す。明治改元の布告が出された9月8日(陰暦)からちょうど100年目にあたる10月23日にその記念式典が行われているのだが、「昭和史全記録」に載る前後の記事は同月20日、社学同の学生が「防衛庁突入」、21日国際反戦デーでは中核や社学同による「新宿騒乱」、翌年正月には東大に機動隊が入り、この年の東大入試が中止になったと、そんな記事が間断なく続いている。

 

 そんなこんなで「昭和100年記念式典」もやるのだろう。とすると、今年のクリスマスということになるのだろうか。その時、巷にはどんなニュースが流れているのだろう?

 

 昭和の空気を腹いっぱいに吸い込んだわが身を思えば、

 

「隔世の感」

 

                          を禁じ得ない私ではあります。

 

 

 

 

 

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