ココハドコ? アタシハダレ?

ココハドコ? アタシハダレ?

自分が誰なのか、忘れないための備忘録または日記、のようなもの。

台風が近づきつつあった8日の夕景。淡い水彩画のような桃色の空。

幻想的な、その柔らかい空気感が良かった。

 

 

 

 

言葉はいらない・・・

 

 

 

 

 

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 ネタ切れ・・・

 どうもいけない。何も書く気がしない。夏の猛暑の記憶がまだ鮮明に残るうちに、どうやら秋になったらしい。私の体はまだ猛暑を覚えているらしく、背中あたりの火照りがなかなか消えず、朝夕の涼しさについていけない。こんな感覚は初めてのことで、なんだか妙な感じだ。

 

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 さて。

 9月に入ってすぐのころ、まだまだ残暑が続く中、気がつくと近所の田んぼの畔に彼岸花が咲いていた。下は何年か前に撮った写真だが、今年も同じところに同じように咲いている。秋の気配というと、この彼岸花とか弱い虫の声くらいかと思っていたら、日が過ぎていくうちにキバナコスモスやキクイモなんかが咲き始めている。そういや、スーパーではみかんが出回り始めた。つい数日前までスイカを売っていた。桃も売っていた。桃なんて以前は7月には終わっていた。そのうち真夏にみかんを食ったりするようになるのだろう。果物も野菜も季節感が消え失せて久しい。

 

 

 

 彼岸花は秋、9月の彼岸のころ、土中の花芽が温度の変化だけを感じて季節を知って葉よりも先に地上に向かって花茎を出し、葉が伸びてくる前に真っ赤な6弁の花を放射状に5~7個つけて咲くとされている。つまり、上の写真の姿は一つの花ではなく放射状に咲いた5~7個の花の全体なのである。そして、その全ての花が輪になったように外向きに並んで咲いているのも下の写真で確認できる。

 

 

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 彼岸花を見るたびに思うのは自然の持つ造形力というのだろうか。いくつかの花を輪のように配置して同時に咲かせ、全体として一つの花のように見せる、華奢で繊細なこの美しさをどう受け止めればいいのだろう。

 彼岸花は種子によって繁殖するわけではないらしい。球根によって増えてゆくのだろう。だからきれいに見せて昆虫など呼ぶ必要もない。そしてその球根には毒がある。田畑の畦道に多く見られるのはモグラやネズミなど畑を荒らす害獣を、その毒によって防ぐためという説もある。

 彼岸花は別名曼殊沙華ともいう。お釈迦様が法華経を説かれた折、これを祝して天から降ってきた花のひとつと言われていて、もともとは縁起のいい花だったはずなのだが、日本では葬式花、墓花、死人花(しびとばな)といった縁起でもない別名が多数あるらしい。だから彼岸花を仏壇や墓地に活けるのはタブー。それでも各地に見える彼岸花の群生を花見に行く人は多い。

さて、いかなる心境であるのか?

 

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 ここからは余談になるのだが、彼岸花は土中の花芽が気温の変化を感じ取って葉よりも先に地上に向かって伸びてくるとされているのだが、「感じ取る」とはどういうことだろう。春、気温が上がれば桜がそれを感じ取って花を咲かせる。地上に出てる部分では日照時間などの変化も感じ取っているとされている。植物にも神経のようなものがあるのだろうか?

 そういえば、植物の枝や葉を切り落とすと電流を発生して周辺の枝や葉にそれを知らせるという事も聞いたことがある。最近の議論では無農薬野菜が健康にいいとは必ずしも言えない。農薬を使わずに育てると害虫が寄ってきたときに野菜は自身を守るために有毒物質を作ることがある、そんな話も聞いた。

 

 この疑問をGeminiにぶつけてみたら、こうした植物の外界に対する反応が、実際にあるという事がわかってきているらしい。以下、そのGeminiの回答。

 

電気信号による情報伝達
 最近の研究では、植物の葉や枝が傷つけられると、その傷口からグルタミン酸というアミノ酸が放出され、それが隣接する細胞に広がっていくことが明らかになりました。このグルタミン酸は、細胞間の情報伝達を担う「グルタミン酸受容体様タンパク質」を活性化させ、カルシウムイオン (Ca2+ ) の濃度を変化させます。この Ca2+ 濃度の変化が電気的なシグナル(活動電位)を発生させ、他の葉や枝へと伝わっていきます。
 この電気信号は、葉の気孔を閉じるなどの防御反応を引き起こしたり、防御に関わる遺伝子の発現を促したりすることが分かっています。つまり、一部が傷つけられると、植物全体が「危険が迫っている」と認識し、防御態勢を整えるのです。これは、動物の神経伝達に似た非常に素早い応答であり、植物が単なる静的な存在ではなく、複雑なコミュニケーション能力を持つことを示唆しています。

 

化学物質による情報伝達
 また、植物は電気信号だけでなく、ホルモンや揮発性物質(匂い)といった化学物質も情報伝達に利用します。例えば、昆虫に食べられた植物は、特有の匂い物質を空気中に放出することがあります。この匂いを感知した周囲の植物は、事前に防御物質を生成して、食害に備えることができます。このような植物間の「会話」は、一種のコミュニケーションであり、広範囲にわたる情報共有を可能にしています。

 

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 だいぶ前に、植物が人間を殺し始めるという映画を見た。ホラー映画で知られたM・ナイト・シャマラン監督の「ハプニング」。植物が風に乗せて有毒物質を流して人々を自殺に追い込んでゆく。本当に怖い映画だったが、いずれそんなこともありそうな気がしてきた。

 

植物は単なる静的な存在ではなく、複雑なコミュニケーション能力を持つ

 

 

 

 

 

 

 

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 昨日、米屋に行ったらもう新米が出てた。佐賀県産のコシヒカリ(特別栽培米)でkgあたり900円。米屋の話だと銘柄米は今年もあまり下がらないだろうとのこと、どうも今年も生産量が需要に追いついておらず、加えて備蓄米も底をつけば輸入米に頼ることにならざるを得ないと。そういう話だった。

 私はそんなにコメを消費する食生活ではないのだが、たまたま頂き物のうなぎが冷蔵庫で出番を待っている。だったら、とりあえず新米を3㎏ほど買おうではないかという気分になって買ってきた。これで1か月から1か月半は持つので、10月になるころに再度新米を多めに買おうという算段。記憶は定かでないのだが、佐賀県産の米は近年美味いと評判だったはずで、とにかく佐賀県産と聞いてなんとなく安心してしまった。

 

 

 

そんなわけで、勢い込んで作ったうな丼。うなぎも米もモノはいいのに、あろうことか、ついついたれをかけ過ぎてしまった。

 

失敗、失敗、大失敗・・・(涙

 

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 さて、8月15日は終戦記念日。80周年。私は昭和25年の生まれで、いわゆる団塊の尻尾のほう、つまり戦争の悲惨さを知らない世代に属する。だから、現実に戦争に直面した人々に比べれば、この日に特別な感慨があるわけではない。ただ、それでも戦後の「民主主義教育」らしき物を受けてきた立場としては、憲法9条の不戦の誓いはそれこそ日本の誇りであるかのように刷り込まれている。もちろん、だからといって頭ごなしに「憲法改正(悪?)反対」と叫ぶつもりもない。これは大いに議論の余地のあることだろうとは思っている。

 ころが昨今は日本も核武装すべきといった考えが若い世代には受け入れられ始めているらしく、これはかなり気になる。はっきりいって「核兵器を持ったほうが安上がり」などという考えは、そんなこと言う「脳みそ」のほうがどれだけ安上がりにできているのかと、発言者の政治家としての資質に根本的な問題があるとしか思えない。

 

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 日本の軍備に関する経済的コストについて私に知識があるわけではない。問題は核兵器が一度使われればどれほどの被害が及ぶのかという問題で、いまや「核抑止力」という発想そのものが風前の灯であるのに、今からそれを持つという覚悟が本当にあるのか、そのことを問いたださなければならないような気がする。

 

 ちなみに核兵器には「戦略核」と「戦術核」という用途によって2種類があるとされていて、ロシアとウクライナの戦争が長引くにつれ、早く終わらせるためには「戦術核」の使用もやむを得ないという考えがロシアあたりでは出てきているらしい。

この「戦術核」という概念は、軍事的な目標(戦車部隊、空母打撃群など)を局地的に破壊することが目的とされているが、それでもこの爆弾の破壊力を馬鹿にしてはいけない。一般に戦術核の破壊力は10〜100キロトンと言われているらしいのだが、この「キロトン」という単位はTNT火薬の爆発エネルギーを基準にして算出されたもので「1キロトン=TNT火薬1000トン」の破壊力を意味する。そして、広島に落とされた原爆は15キロトン(TNT火薬15,000トン相当)、長崎の原爆は22キロトン(TNT火薬22,000トン相当)だったとされている。つまり、広島、長崎に使われた原爆と同等かそれ以上の原爆を「戦術核」としてロシアもアメリカも何百発も持っている。これを使っていいのではないかと、そんな議論がロシアだけでなくアメリカなども始まっているのである。(戦術核の製造自体は1960年代からすでに志向されていたらしい)

 

 しかし、これを一度使えば「抑止力」などあっという間に吹っ飛んでしまう。戦術核の応酬が始まれば「戦略核」まで一直線である。では、その「戦略核」とはどんな破壊力なのか。一般には500〜800キロトン程度(広島の30~50倍)と考えられているが、核保有国が実際にはどれほどの破壊力を持った核兵器を持っているのか、おそらく明らかになっていないだろうと思う。

 

 ただ冷戦時代の核開発の歴史の中で、知っておかねばならない事実として、1961年10月に旧ソ連が北極海で行った50メガトンの核実験がある。「メガ」だから「キロ」の1000倍、1メガトンはTNT火薬1,000,000トンである。50メガトンは50,000,000トン。広島の原爆が15キロトン=0.015メガトンとすると、50メガトンは単純計算でその3,400倍(一説には57メガトン3,800倍)の破壊力である。ちょっと想像できない恐ろしいほどの破壊力なのだが、実際この実験ではきのこ雲が60㎞の高さに及び、爆発の衝撃波は1000㎞以上離れたノルウェーやフィンランドの建物の窓ガラスを破壊したほどだった。

 これは数発で人類どころか地球を滅ぼすと言われた実験で、実際に使うことは不可能と言われたが、おそらくロシアはソ連時代のこの遺物を今も持っているだろうし、それだけの破壊力を持った核兵器を作ったのなら、キロトンならぬメガトン級の核兵器を持っていて何の不思議もないのである。

 

 こういった国を警戒して、日本も核兵器持つべきなのか? 日本も核武装すべきというが、どれほどの破壊力を持つ核兵器を何発持てば気が済むのだろう。広島・長崎クラスの原爆なんてかわいいもんだと思ってる、相手はそういう国だと思うべきなのだが、いざという時に核兵器を使う、そんな覚悟を持てるのか?

 

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 はっきり言って私はそんな覚悟を持つ気はない。「核抑止力」という幻想の賞味期限はそろそろ終わりに近づいてる。そんな気がしてならない。必要なことは、どんなことがあっても戦争をしないという誓いをどのような方法で実践していくかということだろう。

 私は思うのだが、戦争であれ町中のけんかであれそのきっかけになるのは「恐怖心」だと思う。相手を理解しないことから起こる恐怖心。恐怖心が大きくなればなるほど過剰なほどの防衛力を生む。そして恐怖に耐えられなくなると戦争が始まる。  

 なぜ対話しないか。なぜ理解しようとしないか。理解すれば恐怖も氷解する。マハトマ・ガンジーもダライ・ラマ14世も、マーティン・ルーサー・キングもその「非暴力」の思想の根底にあったのは対話と理解ではなかったか。相手を理解し相手に理解されれば、そう簡単に戦争など起こるわけがないのであって、核兵器など無用の長物以外の何物でもない、そうなる努力こそ今の日本に求められていることではないかと、そう思うのである。

 

 ほとんど夢物語ではあるけれど、私は日本が永世中立国になればいいと思っている。日米安保条約を解消し真の独立国として永世中立を宣言できれば中国はじめ東アジア諸国との真の和解の道も開けるはずと思うのは楽観が過ぎるだろうか?

 国際政治のリアルに負けてあれこれ軍備を急ぐより、高く理想の旗を掲げるほうがよい。それも理想は高ければ高いほどいいと思う。国民全員が賛同できるもの、国家運営の理念として必要不可欠となるものが必要だから。これまでの憲法9条に変わるものが必要なのだろうと思う。

 

 

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 最近のYouTubeや周辺のSNSには近隣諸国への恐怖を煽るような言動が満ち溢れている。参政党がちょっと躍進しただけで、こうもアジテーターがぼこぼこと出てくるものかとおどろくばかり。彼らに同調する若者に知っておいてほしいのは、いざ戦争になった時に最初に後方に下がっていなくなるのがアジテーターだという事。アジテーターはその名の通り「煽動屋」で先頭に立って敵と戦ったりしない。あくまで前線に送られるのは若者だという事。これだけははっきりしている。人を恐怖で煽るのは無責任にできるのだ。言論の自由があるから。

 

 

 

 

 

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