校庭に出て様子を見ると、なぜか辺りは静まり返っていた。周りに人の気配はなく、どうやらどこかに避難したようだ。
ロボットの方を見ると、頭部が開きコックピットが剥き出しになっている。
ロボットに近づいてみると、だらりと人が俯せにはみ出ているのに気が付く。頭から、見るからにやばそうな程の出血をしている。
俺は慌てて駆け寄り、声をかけた。
「おい!大丈夫か!?」
大きめの声を出したが、すぐに反応はなかった。少し間が開いてからもぞもぞと肩が揺れ、
「み…んなは…ぶ…じ…?」
今にも途切れそうな声。
ここで改めて気が付く。このパイロット、女じゃないか。それも、俺と大して変わらないくらい。しかも可愛い。俺の好みのタイプにピッタリくる。こんな子があんなロボットを操縦して戦ってたってのか?
しかも、自分より他人の心配をしている。
「いや、あんたの方が大丈夫かよ。頭からすげえ血が流れてるじゃねえか。」
俺の心配をよそに、こいつはふるふると首を振り、2、3回頭を左右に傾げた。
「うん、わたしは大丈夫。みんなとは違う風にできているから。」
けろっとして言うが、やっぱり頭を強く打ったらしい。言ってることが変だ。
これはほっとけないよな。命の恩人に違いない訳だし。保健室で応急処置をしたほうがいいよな。
「とにかく保健室へ行こう」と伝えようとして少女を見ると、気を失ってるじゃないか。だから言わんこっちゃない。俺の方が気が動転する。とにかく急いで保健室へ連れていかねば。ハイジ先生に診てもらえばどうにかなるかも。
俺は少女に背負い、走って保健室へ向かった。あ、この子軽いな。不謹慎ながら、背中に当たる柔らかな感触に意識が集中してしまっていた。


「先生っ!」
破る勢いで保健室の扉を開く。夕日に照らされた湿布の臭いが漂う室内に、ハイジ先生の…女性の影はなかった。代わりに
「おう、一喜。やっぱりきたな。」
窓際で、俺の大嫌いな男が右手をさっと上げた。げんなりだ。
「その子があのAFXに乗っていたパイロットなのか…。」
AFX?聞いたの事無い単語だ。ていうか、やっぱりってなんだ。
「あぁ、お前には何も話してなかったな…。話したくなかったが、そうもいかねーか。」
なんて言い草だ。俺だって話したくなんかないね。
ぽりぽりと面倒臭そうに、溜息混じりで
「家に帰ったら話す。まずはその子の」
親父がここまで言ったところで、俺の耳が一瞬つん裂けそうになった。それもその筈。背負っていた少女が突如として
「博士っ!」
と叫んだからである。耳元で。
「ん、気がついたみたいだな。なんだ君。俺の事を知ってるのかい?」
「はい。わたし、あなたの研究所で…」
突如言葉が途切れた。かと思ったら、急にしおらしい声で
「あの……降ろしてください…。」
あぁ、それもそうだ。意識が戻ったのにいつまでもおんぶしてる必要なんて無いんだよな。少し残念だけど(男なら分かるよな)、俺は静かに少女を降ろした。
改めて向き直ってみると、少女は少し俯いて顔を真っ赤にさせ、
「あの…あり、ありがとうございます…。」
こくん、と頷く様に頭を下げた。
ぐおぉっ。か、かわいいっ。
顔はもろ好みなのにこのしおらしさっ。坪だ…。いや、ツボだ。世界中を探し回ってもなかなか出会えないだろう。今日はなんかツイてる気がする。
と、心を躍らせていたのもつかの間。
「博士。あの子のメインシステムキーをください。」
「んー…無理かな。」
と言うやり取りが耳に入る。
「なんでだよ、親父。持ってるんならやれよ。」
俺はこの子の笑顔が見たかった。何の事か全然わからなかったけど。それをあげる事でこの子が喜ぶのなら。俺は笑顔が見たかっただけなんだ。ただそれだけのつもりで口を出した。それの何が悪い。
…いや、悪いよな。何の事情も知らないんだ。それなのに、軽い気持ちで口を挟んだ。少しでも知っていたら、こんな簡単には言えなかったと思う。
親父は酷く悲しそうな顔をして、俺を殴り飛ばした。
「馬鹿野郎…!何も知らねえガキが生意気言うんじゃねえ!」
少し気が動転した。いきなりなんなんだよ。

「家に帰ったら話す。お嬢ちゃんの意識も戻ったみたいだし、先に帰ってろ。」
荒々しくそう言うなり、保健室を出て行った。

よくわからないけど、俺は親父が話すことを知らなきゃならない気がした。いや、知りたかった。
不謹慎なのかも知れないが、俺は俺の知らない未知の世界が広がる予感に、胸が高鳴るのを感じていた。
事件は、放課後に起こる。

いつにも増してやる気が出てこなかったので、しばらく静まり返った教室で一人、外でスポーツに励むクラスメイトを眺めていた。

「まだこんなところにいたのね。」

恐らく、もの凄くボーッとしていたのだろう。不意打ちの声にビクッとした。
「ハイジ先生…。」
振り向いた先には、廊下から上半身だけを教室にいれ覗き込むハイジ先生の姿があった。
「今晩、ご飯作りに行ってあげようか。」
にっこりと微笑む天使に釘付けとなるが、この誘いは断らねばならない。首を横に振ると、先生は教室の中に入りつつ
「いいじゃない。肉じゃが。嫌い?」
ガサッ、と、買い物袋をとりだす。どこになにを持ってきてるんだろうね、この人。
「だめかなぁ?」
「駄目です。」
夕日の効果か、目が潤んで見える天使の誘惑に、切り立った崖を這い上がる気持ちで挑む。
「目的は親父でしょ。」
視線を外のグラウンドに戻す。もう直視できない。

———親父。俺の父親はこの学校で化学の教師をやっている。昔どこかの国で研究員をやっていたとかで、そういうのには強いんだというのは本人の談。背も高い方で、女子からは人気があると噂で聞いたことがある。が、俺には関係なくどうでもいいことだ。
俺はこいつのことが本当に大嫌いだからだ。

「もう、邪推よ?私はただ…」
先生は親父に近付きたくて、俺を餌にしている。そんなものは高校生になった俺には簡単に理解できた。納得はできないけど。
「だって、お母さんがいないじゃない。寂しいでしょ?」
そうだ。俺には母親がいない。俺を産む時に難産で亡くなってしまったらしいが、親父の妙な研究に巻き込まれたらしい、不幸だ、なんてのが専らの噂だ。
「別に。俺は母親より彼女がほしいね。」
先生に目を向けると、少し哀しそうな表情をしていた。本気で同情されてんのかな。
「…じゃあ、どうしたらいいのかな。」
先生がそう言いかけたのとほぼ同時に、激しい揺れに襲われる。
耳をつんざくような爆発音やガラスの割れる音。一体何が起きたのか、理解するには少し時間が必要だ。
先生の「な、なにあれっ!」という叫び声に、ようやくはっとする。
窓の外遥か上空。得体の知れない物が宙を浮いていた。目を凝らしてよく見ると、それは人の形をしたロボットの様に見えた。真っ黒な図体。そしてその手には、馬鹿でかいライフルの様な物を持っている。
そのライフルをこっちに向けると、間髪入れず発砲してきた。躊躇がない。

———あ、死ぬなこれ

そう思った刹那。さっきまではっきりと見えていた外の景色が真っ黒に遮断された。
鈍い音が何回か響く。生きている事だけはわかった。一体何がどうなってる?
「怪我はない?」
先生の声と触れた手の温もりで、少しだけ落ち着く。
「何が起きてるんだよ…。」
なんて言っても、先生にだってわかるわけないか。
「校内に人が残ってないか確認してくるわね。君はここを動かないで。」
そう言うなり、先生は廊下を駆けていった。展開の早さに何がなんだかさっぱりだ。
ガタンという物音に慌てて反応し外をみると、暗く遮断された視界が見事に明るくなっていた。それと同時に、ロボットがもう一機増えているのを確認する。
その増えたロボットは、発砲してきた黒い機体と打って変わって真っ白で、赤いラインが妙に目立っていた。
しばらく二機による戦闘を見守っていてわかったが、どうやら白い方は味方らしい。一方的にやられている感じはするが、撃退しようとしてくれている。黒い奴はこっちに発砲してきたんだ。まず敵で間違いない。
ガキンガキンと、何度も金属が弾け合う音が上空で響く。
黒い機体の攻撃はことごとく炸裂しているのに、なかなか白い機体は攻撃をしない。近づいたときに何か剣のような物で切り付けようとしている。
黒い機体は、まるで白い機体の行く先がわかるかのように、ガンガン銃を放つ。全て当たっている。どうみても白い機体が劣勢だ。なんとかならないのかよ。
そう思っているうちに、白い方が黒い奴を捕らえ、遥か上空へ飛翔した。物凄い速さで。
ものの数秒後、白いロボットが校庭に着陸。直後、倒れる。
空を見ると、黒いロボットは両腕を失い韋駄天の如く速さで逃げていた。脱兎の如くとはこのことか。
ん?いや待て待て。あの白いロボット校庭に落ちたような…。確かグラウンドじゃ部活動が行われていたはずだ。ちくしょう、気になるじゃねえか。

ふと気が付くと、俺は駆け出していた。自分でも驚く程のスピードで。


こんな時に不謹慎だが、俺の鼓動は高鳴っていた。
俺は時々考える。
この世界には、どれほど俺の知らないことがあるのだろう。
どれほど報道されていない、当事者にしかわからない秘密があるのだろう。
本当はもっと近未来的で、アドベンチャーな世界があるのではないだろうか、と。

少し願望に近いのかも知れない。平凡で退屈な今の生活に飽き、知らないことばかりの外の世界へ行きたいのかも知れない。

到底無理だけど。

あぁ、なんてつまらない世界なんだろう。漫画やアニメの様な世界は所詮空想に過ぎないのだろう。
くだらない事だらけだと、くだらない事を考えては現実に打ちのめされ頭を痛める。


だが事態は急変する。雲の少ない空が妙に高く感じた、少し…いや、もう夏か?と思わせるくらい気温の高い五月のある日に、事件は起きた。


「ふあぁ~あ」
いつもと何等変わりない朝。退屈で摩訶不思議ひとつない朝。学校への道程で大きな欠伸をかく。
「おす。随分とでかい欠伸だな。お疲れか?」
背後から突然聞こえた、聞き慣れた男の声に反応し俺は声のするほうへ首を向けた。そこにいたのは身長171.3�、体重65Kg、サッカー部のエース様で俺のクラスメイト。予想していた奴その人だった。
いつも通りだよと軽く流し、歩を進める。
「にしてもアレだな。今日は楽しみだよな。」
サッカー少年はうきうきと声を弾ませている。
端から聞いたら、全く通じない一言ではあるが、同じクラス故俺にはなんのことかわかっていた。
———学校のマドンナ。保健室に舞い降りた白衣の天使、保健体育の美人教師。男なら誰もが一度は好きになるであろう、女なら誰もが一度は憧れるであろう、性格温厚、容姿端麗。
そして今日、その女神の授業があるのだ。
このくだらなくてつまらない世界で、俺はこの授業の時間だけは心が躍る。男として、当然だろ?
きっと過半数以上の男子生徒はそう思っているに違いない。
「つまんねぇ学校でも唯一、ハイジ先生の授業があってよかったよなー。」
ハイジ先生。誰がつけたか、そう呼ばれ親しまれている。この人を狙う男性教諭も少なくないとか。
「運動部のやつらはわざと怪我してまで会いに行くやつとかいるからな。」
ふてぶてしい奴らだ。まあそいつらはそいつらで会いたくて必死なんだろうけど。
「あーあ、彼氏いねぇーってのは本当なんかねぇ?」
ぶちぶちと俺にはどうでもいいことを学校の門をくぐるまで言い続け、教室につくまで触れなかったというか、うっかりしていたが
「お前、部活は?」
そうだ、サッカー部なんだから朝練くらいあるだろう。
だがこいつは、呆れ返っているのをわざとらしく表現し
「ないない。テスト前だしな。つーかそもそも、うちみたいな弱小校なんか朝練したっていみねぇよ。」
やれやれ、と。お前いつからそんな偉くなったんだ。
「そりゃ、俺がエース語るくらいだしな。」
それもそうだ。ていうか、近々テストかよ。
「ま、赤点はとりたくねえよな。超ダセエし。」
はははと笑い流し、俺は俺の席に着く。ろくに中身のない鞄を置き一息つく。

…はあ。ほんとくだらねー。

教室の天井を眺めながら、俺はそう思っていた。