家庭内の家事分担の話です。


うちは僕も妻も仕事をしていますので、

基本的には2人でやります。


僕の指に菌が入り込み、

結構酷めのひょうそうという病を患ってしまい、

ここのところ料理や洗い物は妻がやってもらってます。


その期間を除いては、

料理も皿洗いも洗濯も掃除も

一緒にやっています。


一緒に仕事してるんで、当然と考えてはいるのですが、

結婚前の生活ではありえない光景だったようです。


家の手伝いなんか、

まったくやりませんでした。


掃除もしないし、

皿も洗ったことないんじゃないかな。


自分でやるのは、

ご飯をよそるくらいだったと思います。


それを考えると自分の考え方もずいぶんと変わったなぁと思います。


自分でやれるようになる、

とは子供の頃からなんとなく考えていたのはと思います。


でもやらなかった。


なんとなく、

ポジション(役割)に甘んじてたのかもしれません。


今は楽しんでやるようにしています。


例えば、

皿を洗うにしても僕は、

『皿を洗う』ではなく、

『皿に自分が洗われている』と言います。


もうそれは定番になっており、

それによってひと笑いが起き、

共に生活をする感が生まれてきている気がします。


だからなんだって話。


あまり自分で言うのは、

世の主婦、旦那からは反感を買ってしまいますが、いいじゃない?我が家の暮らしなんですから。


こういう考え方で生きているだけなので、

比べるところではありません。


人によってはセンスティブな気持ちに発展する話ではございますが、

この辺、上手く話せるようになりたいですね。




深夜1時、

ソファで爆睡中の妻の隣で、これを書いてます。



しかしながら、ちょっと掃除は苦手です。


ノート

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政治の話を誰かとするのって嫌だなぁ、
と思う話。

考えの違う人の話って貴重だとは思います。

だけど何が面白くないのって
押し付けがましく感じ、
正義感や感情などがおり混じってしまって
まともな路線で議題を次の駅に運べてない感じがします。

だから、基本的には話はしたくないのだけど、
昨日はやっちまいました。

うーん、
どんな議題かというと、

自衛をするために、
ミサイルを持つか持たないか。

僕は持ちたくない派。

ミサイルを持てば大丈夫というところに着地点がついてしまうところが納得出来ないというところなのです。

今爆弾でボカーンと大事な人に何かがあったら、
僕は正気ではいられなくなるのは確か。

ただそれを防ぐために、
同じように同じ準備をしておく。

僕は違うと思ってしまう。

色々な思想があり、
色々な環境があり、
それぞれが色々な経験値を得ている。

そんな短い人生の中で、
すべてを経験することは出来ないが故に、
たった一瞬で命を失う瞬間もある。

そうならないために自衛をする形は必要。

そこまではわかる。

しかしそれを解決することとは、
ミサイルを持つことなのか、
核を持つことなのか、
武器を手に取ることなのか。

そこに結びつけて終わりにするような、
僕らの歴史上で学んできた経験だったのだろうか。

綺麗事ではないので、

自分の人生において、
もし周りにそのようなことが起こったら、
迷わずに僕も武器を取るのかとは思います。

ですが、
政治でそれを結びつけてはならない気がするのです。

人間には言葉があります。
考える力があります。
喜怒哀楽をコントロールする力があります。

軍事を持つとしても、
それを答えにしてはならない、と思うのです。

軍事を目の前に、
いったいどれだけの人たちが、
絶望の先に果てたことなのでしょう。

外交は相手がいることなので、
相手の出方次第にもよります。

だからって
だからって。

ここを解決に導く方法を生み出していくのが
政治というものだと思うのですが、
どうなのでしょう?

政治も、
ビジネスも、
なーんかその意味を履き違えてしまっている。

僕も相当な靴擦れを患っておりますが、
その痛いのを知っていることは、
大事なことなのかな?と思います。




ベンチで1人、
夜風にあたりたい。

ノート


ゴールデンウィークに工事をしました調布の現場の引き渡しが終わりました。

今日は細かい作業がたくさん残っており、
朝からゲップが込み上げております。

何から片付けよう。

皆さんも仕事が詰まっている時は、
結構クラクラするくらい焦りますか?

そして意外と、
なんだこんなもんか、と
済んでしまうことありませんか?

でも何度そうしても慣れません。

今、ここに抱える漠然とした不安。
嫌だなぁ。


今日も頑張ります。
ノート