東京で𠮷原遊郭に関する展覧会が開かれると聞いたのは10月なのに真夏のような暑さの午後であった。いったいどんな展示がなされるのだろうかと思いながらソーダ水を口にふくむと玉菊灯篭の灯かりが頭の中にぼんやりとともった気がした。それからあの暑さは長引き冬も暖かい日が続いていたがようやく冬らしい寒さが訪れた2月に主催者が展覧会の概要を発表したところ瞬く間に炎上してしまった。明治の時代に吉原が大火に包まれたときに似てその炎は凄まじくかつて吉原が全焼してしまったようにこの展覧会の開催も危ぶまれるほどだった。批判の主な趣旨は吉原の負の部分に目を逸らせていて文化的貢献やその美のみに焦点を当てている点であった。光があるところに影あるように影があるところに光があるものだと常日頃から思っている俺は桜の下には死体が埋まっているのだろうが今回は桜だけ見ようと晴れやかな気持ちで展覧会に行き、そのときの感想をブログに展覧会の讃美の言葉で綴り(前回の記事)再訪の気分も盛り上がった。そこで友達を誘ったところ今回の展覧会の趣旨にも理解を示しその素晴らしさに大いに期待をしていた。そしてこう言うのである「会場に行く前に浄閑寺へ参拝してから行こう」。浄閑寺は「生まれては苦界、死しては浄閑寺」という句があるように多くの吉原遊女が供養されている寺である。冒頭に書いたように昨年このニュースを聞いた後に玉菊灯篭(玉菊さんと言う有名な花魁をともらうためにお盆の頃灯される灯篭のことでこのお盆は夜桜、9月の俄と呼ばれる路上演劇祭と合わせて三大イベントと呼ばれている)の灯かりが頭の中に灯った理由がわかるような気がした。先日は「桜の下には・・・」などと無理無理自分を鼓舞していたもののやはり負の部分にわだかまりを感じていたのだろう。
 
 

浄閑寺

 

 

 

 

 

いろいろな史蹟があるみたいキョロキョロ

 

 

 

 

 

 

新吉原総霊塔

 

 

 

 
 
 
 
供養を済ませて前回に増して晴れやかな気分で初夏のような眩しい陽のなかを会場に向かったのであった。 
 
 
 

 

 

 

訪れたのは昨日(5月4日)で混雑を予想していたがそれほどでもなくまた2度目であったためにスムーズに鑑賞が出来た。

 

 

感想は前回の記事に譲るとして(前回の記事)

 

 

 

またまた「江戸風俗人形」のコーナーで写真撮影おねがい

 

 

 

 

お風呂を盗撮口笛

 

 

 

 

小道具の中には有名な屏風画が配されている。

実際の吉原にもこんな屏風があったのだろうかキョロキョロ

春の時期だけに桜を運び入れる吉原なら実際に琳派の画家が描いた作品があっても不思議ではないだろう。

 

 

「風神雷神図屏風(風神)」

 

 

 

 

 

 

「風神雷神図屏風(雷神)」

 

 

 

 

 

 

 

「紅白梅図屏風」

 

 

 

 

 

 

 

これも琳派の作品だとは思うけど作品名がわからないショボーン

 

 

 

 

 

 

 

 

これは琳派ではなく狩野派の誰かが描いたと言われている「彦根屏風」って一緒に言った友達が教えてくれたニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

蝶が描かれている家具

 

 

 

 

2度目は時間と心の余裕があったので最後まで全部しっかりすっきり鑑賞が出来ました。


 

 

「江戸風俗人形」の説明文の横に辻村寿三郎さんがこの吉原を再現した際の想いを彼の展覧会の図録から引用された文章が掲載されていた。あまりにも素晴らしいので勝手に全部転記させていただきます。

これは1992年に書かれたものであるが、もし2024年の今この文章が書かれたとしたら批判され炎上してしまうのだろうか、もしそうであれば俺はもう人の前では笑うことも笑顔を見せることもないだろう。

 

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吉原 辻村寿三郎

華の吉原仲の町。
悲しい女達の棲む館ではあるのだけれど、それを悲しく作るには、あまりにも彼女達に惨い。
女達にその苦しみを忘れてもらいたくて、絢爛に楽しくしてやるのが、彼女達へのはなむけになるだろう。
男達ではなく、女達にだけ楽しんでもらいたい。
復元ではなく、江戸の女達の心意気である。
女の艶やかさの誇りなのだ。
後にも先にも、この狂乱な文化はないだろう。
人間は、悲しみや苦しみにも、華やかにその花を咲かせることが出来るのだから、ひとの生命とは、尊いものである。
私は、置屋の料理屋で生まれて育ったので、こうした苦界の女達への思い入れが、ひとより深いのかもしれない。
辛いこと、悲しいこと、苦しいこと、冷酷なようだけれど、それらに耐えて活きているひと達の、何と美しいことだろう。
ひとの道に生まれてきて、貧しくても、裕福でいても、美しく活きる姿をみせてこそ、生まれてきたことへの、感謝であり、また人間としてのあかしでもあるのです。
艶めいて、鎮魂の饗宴のさかもりは、先ず、吉原の女達から…•・・。
『ジュサブロー展』図録 作品解説、1992年より)

 

 






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