胃の中のオカズ、大腸を知らず
日々刻々と月日は流れ、周りの景色は移り行くように変化していく。
時代の変遷に囲まれつつも自分自身だけが変わらないということができようか?否、できまい。
氏は歳を重ねる度に趣向の変わる食の好みについて考えた。
昔はダメだったのに、最近なんだか好きになった。
そんな事って誰しも経験したことがあるのではないだろうか?
ちなみにりゅぢ氏にとって、その代表的なものはお麩である。
初めて味噌汁だか澄まし汁に入ってたお麩を食べた時の衝撃はぢつは忘れた。
あれ?それほど嫌いじゃ・・・
しかしそれ以降20歳を超えるまで一度も食べなかったので、相当嫌いだったのだと思う。
何が切っ掛けで食べるようになったのか?それもすでに忘れたが今となってはかんなり好きな食材である。
その他にも、揚げ出し豆腐・ザーサイ・トン汁・水菜などもわりと最近になって食べれるようになったと思う。
逆に最近食べれなくなったものは、生野菜。
こいつは絶対某国にて寄生虫に犯されリアルに死を感じたコトが原因に間違いない。
完全に、それこそ文字通り食べれない、好きなのに身体が受け付けなくなったものは海鮮系である。
特にホタテ。こいつはイカン。生ホタテは食べると絶対に吐く。
しかし寿司は食べれる。が、ドンブリになってると吐く確率半々くらい。
吐く基準が我ながら謎過ぎて、持て余す。
嫌いなもの・好きなもの、それぞれがぐるぐると変化しくのは、いろんなモノを食べろよと身体が教えてくれているから?
そう考えると、今も昔も最も嫌いなトマトすら愛おしく感じることよのぉ。
先日マグロ丼を食べた。
もちろんマグロは大変な好物であり、舐めるように完食したがその直後、体内ポロロッカ(逆流)が始まった。
胃に至ったマグロ丼は大腸に至る事無く、ポロロッカによって便器の大渦に飲み込まれていった。
今頃故郷の大海にでて悠々自適に桃色珊瑚に手を振られているでしょう。
ならばよし。
涙目を堪え、胃液の苦さに敗北感を味わいつつもマグロのコトを思えば仕方あるまいと心落ち着かせる。
胃の中のオカズ、ついに大海を知る
心落ち着いていたのは、上から出ようが下から出ようが結局大海に出るじゃんと気づくまで。