夢を見た。

 

 

幼い頃、祖父の農家に住んでいた時。

野焼きしながらじっさんが言った。

 

「お前な、受けた恩はな、恩から恩へ、返さなあかんぞ」

と、何のことかさっぱりだった。

 

 

「………それは僕にじっさんの面倒見ろってことか?」

「あほか。他人に返すんじゃ。そうやって人は繋がるんや。わかったか」

「………わからん」

「じゃあ言葉だけ覚えとけ。恩から恩へ」

 

 

早朝に目が覚めた。

昨日の事の様にはっきりした夢だった。

 

 

恩から恩へ。

 

へぇ。

 

 

じっさんはそれだけ覚えておけって言ってたな。

どうせ退屈な人生だ。彼女もできない。

少しでも人の役に立ってみるか。

………ってどうやるんだ?

 

 

マンションのエントランスに降りると、チラシが床に散乱してた。

いつものことだ。家の広告ばかり。

しかし僕の部屋の前の廊下はいつもピカピカだ。

あのマスクをした掃除のおばあさんが磨いてくれているのだ。

 

 

それから毎朝、僕は全ての捨てチラシを添えつけのゴミ箱に入れた。

たった数十秒のこと。何でもない。

こんな事でもいいだろう。

 

 

恩から恩へ。

 

 

駅までは自転車で行く。

 

駅の駐輪所に入る時、よく銀色のペンダントをつけたおばさんと鉢合う。

譲り合っても何なのでいつも先に通らせてもらったが、今日のおばさんの自転車は荷物でいっぱいだった。

 

僕は笑顔で自転車を降りて、おばさんに「お先へ」と手を出した。

おばさんはニコニコしながら駐輪場に入っていった。

「ありがとうね」

 

 

これは恩から恩へなのか?まあこんな事でもいいのか。

 

 

通勤電車は、もみくちゃだ。いつも同じ顔ぶれ。

僕は窓に顔を押し付けられるのが怖いので、いつも車内側を見てる。

そしたら今日、気づいた。

 

いつもの目の前にいる小さなOLが、僕と面と向かって密着できないので、

車内側のおっさんたちの中で挟まれているのだ。

 

 

それで僕には僅かな隙間ができていたのだ。すまないことをしていた。

それから僕は窓ガラスにほっぺたを貼り付けてた。かなり苦しい。

でも小さなOLは僕の背に立てた。苦しいのは少し減ったろう。

 

 

恩から恩へ。

 

 

ある日、昼食用のおにぎりをコンビニエンスストアで買い、傘を取って急いで会社に戻った。

………よく見ると、自分の傘ではなかった。

 

手元はただのビニール傘の様だが、先には水玉模様が入っている。明らかに女性用だ。

というより僕は傘を持って外に出てないぞ?

ここにある。僕の800円傘。

 

 

恩から恩へ?

 

 

というか窃盗しちゃったよ。………返さねば。

でもあの傘じゃ見た瞬間は800円のビニール傘と変わらないから、また誰かが間違えるかも。

 

 

良い傘を買ってお礼するか………。ネットで色々と見てみた。

………¥7,600-???傘が???目がチカチカした。

 

まあ子供か大人かおばあさんか分からないが、まあいいじゃないか。

買おうとしていたゲーム機よりマシだ。

 

 

僕はコンビニエンスストアの前で立ってた。まったくよく降る雨だ。

僕は自分の傘と、水玉の傘と、高い傘を持ってた。

そろそろ社に戻らなければいけない。

 

 

その時、前を横切った若い女性が声をだした。

「あっ」

僕はびっくりしたしながらも聞いてみた。

 

 

 

「貴方は傘を、お探しですか?」

 

 

 

「はい、その傘わたしのだと思うんですけど」

「実はこないだ間違えて持って帰ってしまいました。すみません」

 

僕は取ってしまった傘と、高い傘を手渡した。

 

「この紺の刺繍の入った傘なら誰も間違えないと思います。よかったら使ってください」

「こんな高そうな傘もらえません」

 

「うちのじっさんは何でも恩は恩で返せといつも言ってました。結局、窃盗ですけどあの時、雨に濡れなかったのは貴方のおかげです」

「それでも………」

「まあ気に入らなかったら処分してください。では僕はこれで」

 

 

それから………。

 

 

掃除のおばあさんとはすっかり仲が良くなってしまった。

まあ愚痴が多かったが、孫の話などは楽しかった。

今日も廊下はピカピカだ。

 

 

自転車のおばさんには必ず駐輪場に入るのを譲ることにした。

おばさんはいつもニコニコしながら会釈してくれる。

 

襟の乱れを注意してくれたこともある。

そして銀色のペンダントの秘密も教えてくれた。

 

 

電車は相変わらず窓に顔が押し付けられたが小さなOLの隙間は作ってあげれてる。

 

寝ぼけ眼でホームに並んでる時に、その小さなOLは僕に軽く会釈してくれた。

あんなもんでも役に立つんだなぁと思いながら自分のほっぺたをすりすりした。

 

 

 

そしてある日、昼休憩にいつものコンビニエンスストアに行ったら途中で大雨が降ってきた。

 

 

走りながら帰り用にコンビニの800円のビニール傘を買うのも、やむを得ないと思った。

だいたい家に何本ビニール傘があるんだ。泣けてくる。

 

 

走ってコンビニエンスストアの自動ドアをくぐる時、僕の視界はスローモーションになった。

入り口の横に美しい紺の刺繍が入った傘を、差している女性が居たからだ。

 

 

 

「あっ………。」

 

彼女は微笑んで言った。

 

 

 

 

 

 

「貴方は傘を、お探しですか?」

 

 

 

 

 

 

(2017/06/21筆ー2025/09/15加筆)