カリーナ・アザロとカリーナ・モデナを乗せた列車はトンネルへと、いや、その先の水中へと潜っていった。
透明となった列車から見上げる空には、月の光の下でクラゲたちが音もなく舞っていた。
その美しい幻想の中、クラゲたちはみな自分の存在を微塵も疑わず、そよ風に吹かれたように呼吸を繰り返し、いともたやすく月にその姿を暴かせる。
カリーナ・モデナは、自分も月の光を通す透明な身体だったら、どんなに良かっただろうと思った。
心が透けてしまえば誰も何も偽らず、みなが正直で争いなんて起こらないのではないのだろうかと。
あの夏の日、ロッカールームで大きく転んだカリーナ・モデナに手を差し伸ばしてくれたあの娘。
にっこりとして可愛くて、カリーナ・モデナはその娘の瞳に引き込まれた。
しかしその次の日には、カリーナ・モデナは『ばい菌』というあだ名がつけられた。
誰も手をつないではダメだと、その娘に触れ回られた。
あの日あの時、もしあの娘の心が月の光によって透けて見えていたのなら、カリーナ・モデナの魂は天国にも地獄にも行かずに済んだ。
【 カリーナ・アザロ。一緒に写真を撮ろう?】
【 ………そんな小さな機械で撮れるの?】
【 うん………。私達ってほんとそっくり。双子みたい】
【 ………あなたはいくつ?】
【 12歳 】
【 ………あたしは117歳と11ヶ月と3日。眠りについたのは12歳の頃 】
【 よく覚えているね】
【 ………数えちゃうの。どのくらい生きているのか分からなくなるから。あなたはずっとずっと生きてみたい?】
【 ううん。ずっと生きても、悲しいことが増えるだけ】
【 ………そうだね。悲しいことや、誰かをずっとずっと憎むだけ】
【 誰かが憎いの? 】
【 ………サラフィア先生が憎かった。私をこんな身体にしたから。
でも今は………それを頼んだのはお父さんとお母さんだし………。
それもロザリア・ロンバルドみたいに見世物にするためじゃない。
いつか私の病気が治るようにと………。だから今は誰も憎めない。
あのカストラートのファリネッリも自分の運命を憎みきれなかったと思う。
悲劇があるのなら喜劇も、慈しみも存在しているから。
だからもし、この生命がずっと続いていくのなら、私はいつか誰かを愛するかもしれないけど、それと同時にまた誰かを憎む………】
【 ねえ、誰かを好きになったことはある?】
【 ………ないよ】
【 ………カリーナ・アザロ。私はあなたが愛しいよ。貴方は私の先祖だけど、私の分身みたい。
愛することができない世界で生きてきたのに、誰も傷つけたくない、誰も憎みたくない。
私はそんな貴方が愛しいの。存在の半分を殺して、耐えて堪えて生きている貴方の、あと半分は私が愛したい。だから………。
………ねえ。キスをしたことはある?】
【 ………ないよ】
【 じゃあ………】
1920年ーーーーーーーーーーーーーーーー
約105年前
旧イタリア王国
シチリア島 モンレアーレ
▼アルフレード・サラフィア医療研究所
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古い医院の陽の届かぬ処置室で、初老の医師が横たわる少女の身体を丁寧に拭いていた。
【 愛しい、愛しいカリーナ・アザロ。
お前を未来につなぐことは、お前にとっては辛いことだろう。
アザロ夫妻がお前を未来の医療に託して延命させるのは………夫妻のエゴだ。
そしてそれを引き受けた私のエゴでもある。
ルーシェ・フランシスコ修道会もお前を担ぎ出そうとしている。みな自分の事しか考えていない。
しかしどうかお前がこの先、愛すべき人に出会い、泣き笑い、そしていつか本当に、美しく命が終わりますように。
シチリア島と聖アガタよ。どうかカリーナに祝福を。
罪を代弁し、背負う者たちに………。
ねえ………。カリーナ・アザロ。お母さんに会いに行くよね?
………うん。
(つづく)