2025年ーーーーーーーーーーーーーーーー
イタリア共和国 カラブリア州
ロザルノ近郊の山道
ーーーーーーーーーーーーーーーーー0:07
真夜中の山道を、重と由加を乗せたジュゼッペ・アザロの赤いフィアットが猛スピードで走っていた。
【 ジャパニーズ、君らが漁船を降りたのはポマレッリの漁港で間違いないんだな?】
【 はい。修道士が携帯電話で話していました。ポマレッリ近郊の漁港だと。】
「………。由加、俺酔ってきたんだけど。狭いしきつい。爺さんに言ってくれ。」
【 なんだ?彼氏は車酔いか? 】
【 みたいです。】
【 たとえ車内で吐いても、車は止めないと言いなさい。
船はもう出ている可能性は高いが、シチリア島のパレルモまで逃げられたら、あいつらの修道会は地下に潜っているから見つけるのは一苦労だ。】
2025年ーーーーーーーーーーーーーーーー
イタリア共和国 カラブリア州
リカーディ
モデナ家
居間
ーーーーーーーーーーーーーーーー21:34
革張りの白いソファが並ぶ広い居間。
いくつかの吊り下がる松ぼっくりのような形の照明が、優しい暖色の光を茶と白の混ざった絨毯に落としている。
その壁際には日本製の大きな液晶テレビがあり、イタリア人リポーターの男が、幼い少女のミイラを紹介する映像が映し出されていた。
12歳になるカリーナ・モデナはソファに座り、リモコンを両手で持ったまま、ぼーっとそれを見ていた。
そこへ突然、家の電話が鳴った。
【 はい。もしもし?】
( ………ジュゼッペに代わってくれるかしら)
【 あなたはだあれ?】
( ………あたしはカリーナ・アザロ。ジュゼッペに代わって)
【 あなたがカリーナ・アザロ? 私はカリーナ・モデナ。ジュゼッペおじいさんは海岸に行くって。ママは今お風呂に入ってる】
( ………そう。リカーディのどの海岸? )
【 私の家の近くの、崖の下の石だらけの海岸だよ】
( ………そう。ありがとう。じゃあね)
【 ちょっと待って!カリーナ・アザロ、あなたは私と同じくらいの歳でしょ? 子供の声だもの。1人で海岸まで行けるの??】
( ………)
【 カリーナ・アザロ、ジュゼッペおじいさんが電話であなたの名前を言っていた。その時ジュゼッペおじいさんは泣いていた。あなたは誰なの?】
( ………)
【 名前も………私と同じカリーナ。私が海岸まで連れていってあげようか? 迎えにいくよ。どこにいるの?】
( ………貨物船が見える)
【 分かった。ちょっと待ってて】
( ………ねえ。カリーナ・モデナ、その家にさ、)
【 なあに?】
( ………いや、やっぱりいい。待ってるね。あたしは真っ赤なワンピースを着てる)
2025年ーーーーーーーーーーーーーーーー
イタリア共和国 カラブリア州
ポマレッリ
漁港
ーーーーーーーーーーーーーーーー21:15
【 イレーネ。何ということをしてくれたんだ】
【 ファーザー、私はこのままカリーナ・アザロを偶像として騙し続けていくことには、とても耐えられません。あの子は母親に会いたいだけなのに。
105年も騙されて閉じ込められて、もうとっくに母親は亡くなっているなんて、あまりにも酷いです】
【 お前は私達の修道会を、教義を冒涜した。いいか。私は祖父の時代からずっと、あの子の病気が治る治療法が生まれているかどうか、覚醒の度に確認している】
【 ファーザー。私はもう貴方を信用できません。貴方は多分、カリーナの治療法が見つかっても、騙し続けるでしょう。治療するのはカリーナが死んでしまう確率を下げるため。】
【 ………お前にも苦難が必要なようだ。聖アガタが苦しみを乗り越え、列福されたように。誰かイレーネを連れて行け。一部を残して後の者はリカーディへ向かう。】
側近の修道士が言った。
【 ファーザー。貴方はカリーナと母ビーチェの約束の海岸の場所が分かるので?】
【 カリーナ・アザロにはGPSを埋め込んである。我々が母ビーチェからカリーナ・アザロの永眠を頼まれたことを無視し、ずっと祭り続けていたことはもう孫のジュゼッペの耳に入っているだろう。
我々が信頼を失ったのなら、ジュゼッペはカリーナ・アザロを自らの手で永眠させるはず。
アザロ家はサラフィアが最期に作った薬、『フィーネ』を持っているのだから】
生きる事を、死なせないことで否定された、カリーナ・アザロ。
その幼い姿のままの祖先と瓜二つのカリーナ・モデナ。
105年前、娘の延命を決断した母、故ビーチェ・アザロ。
悪夢を終わらせ、叔母を永眠させようとする老いた甥、ジュゼッペ・アザロ。
その同行者、日本人の重と由加。
そしてカリーナ・アザロを偶像として利用し続けようとする、
ルーシェ・サンフランシスコ修道会のラウロ神父。
全てはロザリア・ロンバルドのミイラと、故ビーチェ・アザロ、そして化学者アルフレード・サラフィアの歪な祈りから始まった。
彼らは既に死んだ者も生きている者もみな、
117年 生きた幼い少女カリーナ・アザロを永眠させようと、
あるいは永遠に生かそうと、
小さな体に閉じ込められた大きな絶望を追いかける。
(つづく)
本作はイタリア・シチリア島に105年安置されている少女のミイラ、ロザリア・ロンバルドとその死体防腐処理を行ったアルフレード・サラフィアの逸話を元にしたフィクションです。