焦残、お休みさせております。


下記は9年前の作品です。


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「鼓動」



「産まんかったら良かったわ」



それが香美の母の口癖だった。


しかしそれは一方的に野次られてるのではなく、香美の素行が悪かったからだ。

髪を染め、校則で認めらてない服を着、バイクの無免許運転………。


しょっちゅう学校に呼び出される母としては、そんなことも言いたくなるらしい。

しかし香美にとってそれは、ただ単に友人に触発されたわけではなく、あきらかな親への反抗だった。

蒸発した父の蹂躙、コロコロ変わる母の夫、食事という観念のない家、そこらじゅうの壁にあいた穴………。



そんな香美だが、とても冷静に世間を見ていた。

世の中には勝ち組と負け組がいる。負け組が勝ち組にはいるためにはよっぽどの才能がいる。

自分には何もない。自分をブスだと自覚してる。



太ってるわけではない。胸は小さい。お尻は大きい。顔はニキビでいっぱいだ。こんな自分が死んだって大してだれも悲しまないだろう。式場では泣いても、帰る時にはみんな、同窓会みたいな楽しむもんなんだろうなと。



ある日、香美は高校を辞めた。

妊娠したことがわかったからだ。

そのころ、香美は多くの不良達と性的関係を持っていた。行為中は唯一、自分が他人に必要とされるからだ。



不良中間で集まった時も、誰がその子の父親がわからなかった。こんな状況でも冷めている香美は一人で産もうと決めていた。


しかし手をあげたのが不良仲間の中でも寡黙な、太一だった。時期もかぶるから、自分しかいない、もしこの中の誰かの子だとしても、名乗りを上げないのなら俺が育てる。



香美はびっくりした。自分を守ろうとする男が、ひょんなとこから現れたからだ。

すこし動揺したが、また冷めた自分が帰ってくる。



彼も高校生。社会はそんなに甘くない。



香美は小さいころから人を信じることができない。裏切られる怖さを知っているから。


二人は婚礼写真だけを撮り、あとは双方の家族と食事をとった。



太一は学校をやめ鳶職(とびしょく)として働き出した。元来真面目なので、すぐに親方に気にいられた。しかしその若さゆえ、そんなに稼ぎはよくなかった。



香美はだんだんと膨らんでくるお腹を鏡の前でさすりながら、母親もこうしていたんだろうなと思い、なんだか諦めに似た脱力感があった。それでも出産にはお金がかかる。彼女も事務のパートに通いだした。



二人は結婚以来、一度も性的なことを行わなかった。香美自身、欲求があるときもあったが、身体のためと、太一は首をふった。



そうしてある日、もういつ産まれてもおかしくないような時期に、太一は出張が入ってしまった。太一は親方に断り続けたが、昇進の話もあり、しぶしぶひきうけた。



香美は不安だった。だが間接照明だけの部屋で一人座っていると、またいつものように冷めてきた。

自分は自分の過去を全て捨ててしまいたい。だけど現在は………良い夫がいる。子もできた。

しかしどこか冷めて自分がいる………



最後に大笑いしたのはいつだろう。

最後に怒ったのはいつだろう

最後に泣いたのはいつだろう。

私はどうしてこういつも無感覚なんだろう………。

私は産まれんかったら良かったんか?



身体に異常を感じ始めた。

ついにその時がきたんだなと思った。

太一がおらず心配ではあったが、なあに自分は大丈夫。

感覚のない人間なんだから。

香美はそう思った。



救急車を呼び、病院に運び込まれた。

聞いていたよりもずっと強い痛みがあった。

赤ん坊の声と同時に香美は深い眠りにおちた。



目をさますと太一がいた。

「がんばったね」

そうしてその脇をみると看護師が赤ん坊を抱えてる。

小さな猿のような宇宙人のような。


「さあ、抱いてあげてください」

香美はその小さな猿を胸元に引き寄せた。

どっちに似てるかなんてわからない。

だって太一の子ですら怪しいのだから。


しかしその時だった。




トクン




香美は赤ん坊の小さな心臓の鼓動が、自分の心臓と重なった気がした。

鼓動が同期したような気がした。

同時にこれが自分の子なのかと思うとたまらない気持ちがしてきた。


涙で震えて、消え入りそうな声で香美は言った。





「生まれてきてくれて、ありがとう」