あじさいの前に座る君………。
いつものシーツの香りがしない。
あんなにこだわった柔軟剤で、量の配分も試し尽くしたのに、なあに、この味気のない香り。
ああ、でも病院か。仕方ないね。
コーンポタージュの香りがする。今日はパンかぁ。
………このノートは何かな。
毎日、あじさいの絵が描いてあるね。
綺麗な病室だこと。
1人は少し寂しいけれど。
そんなに私は重症なのかしら。
「加山さん、点滴しますよ」
「ああ、いいです、要りません。中庭に連れて行ってもらえませんか?」
「雨ですよ?」
「いいんです。お願いします」
私はベッドを降りる時、点滴パックを見た。
パックの中ではワニのプランクが、相変わらず汚れた作業着で分厚い歴史書を読んでいた。
彼は私にウインクをしてきた。
私も笑顔で返した。
「ちょっと、濡れますよ。ちょっと、加山さん。絵を描くのでしたら、椅子を持ってきましょうか?」
「あじさいが綺麗ですね。しかも私の好きな青色ばかり」
「毎日、見ていらっしゃるのに」
「花言葉は、辛抱強い愛情………」
娘が待っている。
私は娘との大事な想い出が、消えてしまわない様に毎日戦っている。
明日にはまた何もかも忘れてしまうかもしれない。
だけど私はこのノートを持って最後まで戦う。
ノートの外の私は、瞬きをした瞬間に消え続ける。
だけど次の日のページはいつまでも経っても白紙のまま。
何だって書き込める。
だから何も終わってなんかいない。あきらめない。
私の心は鉛筆だ。私は描き続ける。
私を待っている娘、名前はすぐには出てこないけど、また会いに行くからね。
一緒に、カタツムリを見に行こう。
貴方をずっと、ずっと抱きしめるよ。
………ああ、
今日もね
今日も
雨 の音が綺麗だな
まだまだ、ページは残っている。
まだまだ、書き込める。
(終わり)