黒人の少年ビリー・ジョン・ルイスはハイスクールに通っていなかった。
それは分かり易いほどビリーの家庭が乱れていたからだ。
そしてビリー自身がヘロイン中毒であったからだ。
ある日、ビリーの暴力的な父は麻薬の売買で捕まった。
ビリーは母親など見た事がない。親父の女だけだ。
アパートは家賃滞納で錠がつけられた。
行く所がなくなった。というか、そもそも何処にも行く気がなかった。
親戚など疎遠だしヘロイン中毒など受け入れてはくれない。
だから盗む。生きるためにはなく薬物で身体を殺すために。
それしかできないから中毒者なのだ。
その晩はある高級車のバッテリーボックスを盗んだ。
いくらかにはなった。
ヘロインを使用している間だけは全てから救われる。
神に抱かれてると言っても過言ではない。
しかしその数時間の後は、地獄だ。
風が吹いただけで体中が痛い。
暑いのか寒いのかわからない。
思考が壊れる。
ある晩、ビリーはゴミ捨て場でレコードプレーヤーを拾った。
それと一緒に笑った黒人がカバーのレコードもあった。
売りに行こうとしたが、もう買取屋は閉まってる。
ホテル(ストリートキッズが不法侵入してるあばら屋)に帰っても、
手ぶらというかレコードだけなんで1番偉そうにしてるキーファーに殴られる。
本当は宿泊代の代わりに小銭を献上しなければならないから。
ビリーは路地裏に座り込んで空を見ながらぼーっとしていた。
自分がおかしいのかどうかは分からなかったが
空はコールタールの様に真っ黒だった。
そのうち禁断症状がくる。
ビリーはふとレコードをかけてみようと思った。
表の酒屋から電源を盗んだ。
レコードには
『What a wonderful world』
(この素晴らしき世界)
と書いてあった。ああ、あれか。と、ビリーは思った。
貸し出しカードが入っていたが何も書かれていなかった。
青い空がみえる 白い雲も
明るく祝福された日 暗い神聖な夜
そしてひとり思う
なんて素晴らしい世界だろう
空にかかった虹が何とも美しい
行き交う人々の顔もまるでそんな感じさ
ほら、友人たちが握手して
「ご機嫌いかが」って言っている
でも彼らは本当は心の中でこう思っているんだ
「愛してる」って
ビリーはレコードプレーヤーを蹴った。
「んなことあるわけないだろ」
赤ちゃんたちの泣き声が聞こえる
彼らの成長を見守ろう
彼らは私よりも、もっとたくさんのことを学ぶだろうから
そしてまたひとり思うんだ
なんて素晴らしい世界だろうって
ひとり思うんだ
なんて素晴らしい世界だろう
ビリーは知っていた。
ベトナムでは兵士や民間人が何百万人も消えてゆく。
そしてアメリカ本土でもまだ黒人差別は無くならず、バスでも白人用の席と黒人用の席の垣根が無くなって、まだ自分の歳の年月も経たない。
子供でも簡単に手に入ってしまうドラッグ。
危険性も分からず手をつけ、辛さの中でより酷い辛さを味わう。
職業にも希望は持てず、まだまだ腫れ物扱いの自分達。
勇敢な黒人の人権運動の牧師は殺された。
そしてビリーの兄もベトナムから帰って来なくなった。
そこで「この素晴らしき世界」?何を言っているんだ?
残酷で、汚くて、怖くて、救いのない世界じゃないか。
………でもその黒人はその時代の中で笑顔を浮かべて歌う。
「この素晴らしき世界」と。
それがどれほど勇気のいる事か。どれほどの想いをこめた事か。
どれほどの覚悟がいることか。
ビリーは感じた。
日中の戦闘が終わり戦場に掘られた塹壕の中で、もう動けなくなる兵士がこの歌を聞いたら?
怒るか?
いや、涙が出るだろう。
ビリーは一晩中ずっと下を向いていた。
そして朝を迎え震えながら更生施設へ行った。
きれいなロビーの受付でボロボロのサンダルを履いたまま
ビリーは自分が盗人である事とヘロイン常習者だと言うことを伝えた。
ビリーにとってそこは終着駅だった。
診察室に呼ばれた。医師が微笑みながら言った。
「頑張ったね」
ビリーは自分は何もできてないと思った。
「………君はね、自分の足でここにきた。それはね、この世界全てが光で包まれるぐらい、素晴らしく大きなことをしたんだよ。君ならできる。一緒に進もう」
ビリーは歯を食いしばった。
「治療は辛い。死にたくなる時もある。でも大丈夫。私が君を治す」
そしてビリーはあてがわれた自分の部屋に入っていった。
その後のビリーはどうなったか。
それは分からない。
しかし路地裏のレコードプレーヤーはもう消えていた。
そしてその路地裏の空は、気持ちいいほど真っ青だった。
詞、楽曲、アルバムジャケット等お借りしました。
(2025/7/15加筆)