戦争ものです。
短い小説、掌編です。
今回は(前)になります
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1945年8月4日 大阪府八尾市
最後の一人まで闘えゆうんは、誰のことやろ。
南の戦地におる正造さんのことか。
それともこの平屋におる私のことか。
まさかまさか、疎開に出たユキのことか。
大和が沈んだと聞く。
東洋一、いや世界一の軍艦が?
どうやって??
みんなヒソヒソと、この戦争が少しも勝ってへんことを話しとる。
銀色の鳥が、私らの家をまたぐ。
菊の花は型押し、桜は散る。
私は毎日独り、この庭で洗濯板をこする。
義父義母の下着を、これでもかと、こする。
いつまでたっても何の答えも出やん。
闘うことはできるよ。
でもいつまで?
家族はいつ帰ってくる?
惨めな涙を堪えていると、代わりに生温い汗が乳房の間を滑ってく。
吸う息も吐く息も熱くて苦しくて、頭がぼんやりクラクラとする。
セミだけが鳴く、静寂。
人もトラックも飛行機も押し黙っとる。
主人のいない庭。
すり減った洗濯板。
お天道様はとうに固まってしもたみたい。
どうにも耐えられんようになって、首にかけた手ぬぐいを胸の中に突っ込んだとき、視界の先に軍服が見えた。
庭先の門に憲兵さんが立っておった。右手でうちの庭の向日葵をつついておった。
私はびっくりして、恥ずかしくて、はだけた胸をしまいこんで、憲兵さんは怖いから、もしかして怒られるんかと、色々と考えてはみたんやけど、焦るばかりで、とにもかくにも立ち上がり、声を出した。
「ご苦労さまです!」
「いえいえ、洗濯ですか。婦人には頭が下がりますな。我ら軍人にはそのような器用な者はおりませぬ(笑)」
「いえ………いえ、兵隊さんがおるから、私らの生活は成り立っております。だから私らは家を守らないけません。この平屋と家事が私らの戦場です」
隣組で聞いた言葉をそんまんま口に出してしもうた。
取ってつけたように聞こえたやろか?
「アハハ、ここが貴方の戦場と申しますか。………でも多分、貴方の様な方がたくさんが居れば、大日本帝国は負けんでしょう。そういえば………。午後からの天気はどうでしょうな。雨が降らんといいが」
この憲兵さんは青嵐みたいな澄んだ声をしてはる。
あの入道雲の上でクスクスと笑とるみたい。
「いえ、貴方の様な素敵な方と出会った日は必ず晴れます。憲兵さんにも優しい人がいはるんですね(笑)」
そうやってケラケラと笑う私らの影を、大きな鳥の影が飲み込んだ。
「あ………。警報は??」
「………。なーに。偵察機でしょう。市街の延焼具合を調べておるのです」
「………。憲兵さん。私は怖いです。火やなく、閉じていきそうな自分が………」
「なーに。………人の心というのは案外丈夫なものでしてな。そうそう枯れたりはしない。もし怖いものと言うのなら、それはこの向日葵の事ですよ。爆弾なんかよりよっぽど怖い(笑)」
「どういうことですか?」
「………またいつかお会いするかもしれませんな。どうもそんな気がしてならんのです。それではまた。ごきげんよう」
不覚にも私は、正造さんの出征式ではあんなに憎んだ軍服が、この人のものはキラキラと見えてしもうた。
空が蒼く、蒼く、私を呼びに来る。
戦地の正造さんは絶対に生きとる。
疎開先のユキも必ず元気に帰ってくる。
でも愛する人達みんな、今日ばかりはこの空に免じて、少しばかりの空想を許してもらえんやろか。
私も生きるのに必死。
いくらでも頑張るつもりやけど、いつまでなのかが分からん。
信じてはおるんやけど、いつも絶望と隣り合わせ。
みんなの事を想てるんか、自分の心を守てるだけなんか、よう分からんようになる。
だから今ちょっとだけ、心が軽くなってはあかんかな。ほんの半時の事やねんけど。
私は平屋の奥に入り、箪笥を開けて洋服を手にとったが、
着替えるまではせえへんかった。
そして少し熱を持った顔で、仏壇の前を小走りで抜けた。
縁側で横になり、風鈴の音に耳を傾けた。
高い高い音色。
チリン……
………。
かっこええ人やったな。
軍服がキラキラとしとった。
青嵐みたいな澄んだ声……
青い、青い、空の色………。
チリリ………
ほんの刹那、私の影は鳥となったん。
明日からはまた洗濯板をこすり、この平屋で闘っていく。
いつ誰が帰ってきても、ホコリ一つ落ちてへん。
(後編へ)
(写真はAI生成です。2025/08/07加筆)