漫画「さよならソルシエ(2013年)」と絵画「ひまわり(1889年)」

 

 

この「さよならソルシエ」という漫画は「ひまわり」の絵などで知られる画家フィンセント・ファン・ゴッホの人生を、

 

彼の実弟であり、また良き理解者であり、そして支援者でもあった画商テオドルス・ファン・ゴッホからの視点で描いた話です。

 

 

全2巻と話が短く、また多くのネタバレを含むので詳細な内容は伏せますが、個人的にはそのストーリー性よりも、テオドルスの描写に興味を持ちました。

 

 

前述の通りフィンセントの実弟であり、芸術的理解者であり、創作活動を金銭的に援助しそしてその死後は後を追うように亡くなったテオドルス。

 

 

そのテオドルスが当時、多くの人々が興味を示さなかったフィンセントの才能を、誰よりも深く理解しながらも、誰よりも嫉妬をしていた、という描写です。

 

 

漫画「さよならソルシエ」でのフィンセントとテオドルス。下は二人の肖像画、写真。

 

 

 

 

 

映画『アマデウス』(1984年)

 

 

この深い理解と嫉妬という描写は、モーツァルトの半生を描いた映画「アマデウス」の主人公、宮廷音楽家サリエリにも見られます。

 

 

サリエリは遥か後世まで残るモーツァルトの珠玉のような楽曲を憎み嫉妬しながらも、

 

その傍らでモーツァルトの作品の中では決して成功したとは言えない、むしろ当時は不評だったものまでをも深く理解し、そこに抗えない感動をしたという描写でした。

 

 

モーツァルトとサリエリの肖像画。下は映画「アマデウス」での二人。

 

 

そこには彼らテオドルス、サリエリの飛び抜けた感受性と徹底した論理的批評、そしてそれらによってようやく見えてくる、

 

本当は一般的に芸術を楽しむ人々が到達しなくても構わない、見えるはずのない聖地を見出したのかも知れません。

 

 

(あくまでこの2つの例は創作ですから、各作者の芸術観が強く反映されており、史実とは違う部分も多々あります)

 

 

テオドルスとサリエリは、1を100にできたのでしょう。

しかしフィンセントとモーツァルトは、0を1にできたのだと思います。

 

 

4億8千万で落札されたモーツァルト13歳の肖像画。

 

 

彼らはみな等しく亡くなりましたが、天国があるとすればどんな生活をしているのでしょうか。

 

フィンセントはまた一人孤独に、自分で切りとった耳(ゴッホの耳切り事件)の痛みを感じながら天国の田舎風景を圧倒的に描き、

 

モーツァルトは自作の下品な歌(俺の尻をなめろ K.231)を大好きなオーストリアビールを飲んで弾いているのかもしれません。

 

 

包帯をしてパイプをくわえた自画像(1889年)

フィンセント・ファン・ゴッホ

 

 

 

ブログタイトルの『アマデウス』とは、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの名にもありますが、『神に愛された者』という意味です。

 

 

 

 

 

(2023/05/06筆ー2025/09/17加筆)