「種をまく人」(1850年)

ジャン=フランソワ・ミレー

 

 

このように「種をまく人」の絵画は、厳かで神秘的であるべきかと思います。

何故ならこれがキリスト教において象徴的な教えであり、また信仰の入り口であり神の威厳を表す(たとえの話)を表した絵画だとも言われているからです。

 

キリストが言った「種をまく人」の(たとえの話)では、まかれた種は4つの地面に落ち、それぞれが違う結末を迎えます。

 

「種」とは神の言葉を指し、「4つの地面」は言葉を聞いた人々を表します。

道端、石地、いばらの地の人々は迷い、神に祝福され実を結ぶ(良い地面)はひとつだけです。

 

この選択こそがキリスト教の信仰を試され、または理解をする点かと思います。

 

ですから逆に言えば、神に祝福されない土地は、あり続けると言うことです。

 

 

 

 

「種をまく人」(1888年)

フィンセント・ファン・ゴッホ

 

 

しかしこの精神を病み、人々に敬遠されたキリスト教の元宣教師、画家のフィンセント・ファン・ゴッホは心に直接、種をまきます。 

 

ともすれば短絡的な理解で、または無邪気な心で、苦悩を打ち破る美しい光を描き上げました。

 

これではキリストの言う(たとえの話)ができません。

 

何故なら4つの地面がないからです。

 

そこには希望という、美しく光り輝くひとつの地面しか見えません。

 

 

それが彼、フィンセント・ファン・ゴッホの神に対する答えのひとつであったのかなと思います。