2万人近い犠牲者を出した東日本大震災から、早くも一年経ちましたね。

今日は14:46に合わせ、外に出ていたので公園で北北東あたりを向いて独り黙祷しました。国立劇場の震災追悼式に献花へ行こうかと思いましたが、午前中の勉強も決して順調ではなく、帰る時間が遅くなると試験に響きそうなので諦めました。情けない。

被災地で必要な支援は時と共に変化します。以前学校の企画で福島の高校生から話を聞いた際には最終的に支援物資が余ってしまったと話していました。その点金は何にでも化けるので有利ですね。被災地に合った支援をしていきたいものです。

一周年という事でtwitterや当ブログのあの時の記事を読み返し、ブログはテーマ:東日本大震災にまとめておきました。twitterでは支援物資の情報やら協力お願いしますやら一部デマも含めて色々RTしてたな...
地震の時固定電話の連絡網は使い物にならず、メールも問合せをしないと届かない中、ネットは比較的丈夫でしたね。仙台にいた先輩も津波が来るまではSkypeで友達と話せたそうです。世の中の無防備さを感じました。

前日まで違法献金の話題が盛り上がり、内閣総辞職か解散か、と思っていたり、後輩とルメイと勲章についてどう思うか話したりしていた記憶が有ります。
あの日、私は試験前日で午前授業でした。音楽の課題を先生に見せるため居残り、電車に乗車。14時46分、車内でもわかるほどの激しい揺れ(震度5弱)に襲われ、電車は自宅の最寄駅の手前で停車しました。
一時間ほど待機する最中、何機もの米軍輸送機が物資を集めに基地へ?飛んで行きました。線路を歩いて16時ごろ帰宅しました。家は物が倒れて部屋の扉をふさいでいたくらいで大した被害は受けませんでしたが、物が壊れた家も結構あったようで、大量のごみや割れた食器が見られました。
その日は夜遅くまで起きていて報道にくぎ付けでした。車内で地震に逢ったときから大地震とは思っていましたが想像以上の地震と津波の被害に驚き、何かしようにも何もできないからせめて情報を、と思っていたのだと思います。学校は休みになりました。

次の日もネットやらテレビやらラジオやらで情報にかじりつきました。ヘリの音は時に救援の邪魔になっているとも噂され、恐怖心を一種煽っている報道の問題や、流れているのは根拠の無いデマかもしれないし、大々的には言われていない真実かもしれないという情報の問題点を感じました。
そして原発が水素爆発。政府の初期の対応や、東電と政治の体質に問題が有ったのは確かですが誰が悪いなどとは言いたくありません。
安全・危険とさまざまな説が飛び交い、自分も自分の知識と東大の中川チームや物理学者の早野先生からの情報で考えているつもりでしたがやはり混乱していました。結局安全とも危険とも、私には言えません。私に言えるのは危険でも適切に対処すれば問題ない、というだけです。

そして自衛隊や米軍、諸外国の救援隊には頼もしさを覚えました。自衛隊のヘリが通ると一人見上げて敬礼しました。食糧など自分の生活の世話は自分でできて、そのうえで過酷な状況の中働かなく覚悟はあるのか、無いなら被災者の邪魔になるだけだ、というボランティアのリスクも知りました。一方で各国の支援やその後のロシア軍の挑発、不穏なうわさを見て漫画「太陽の黙示録」を思い出したのは私だけではないと思います。
混乱の中スイス政府編の「民間防衛」の一節を紹介した覚えもあります。「自らの主人であり続けよう」と。重要ですが難しい事です。

世間も混乱しました。物流が少し鈍り店頭では必要以上の買占めが起きました。私は不要な買い物は避けましたがスーパーには列ができ、入場は少しずつになっていました。とりあえずある物を整然と並べる冷静な対応には感謝です。

週明け。世の中で電力不足という事になり列車の運休や計画停電が起きました。私の家は停電にはならなかったものの、節電しました。計画停電も効果ないとかおかしなやり方とか色々言われていますが、啓蒙的な意味でも(脅しの様でそれが嫌われているんでしょうけど)、これ自体は評価したいです。

ネットにはアーティストやボカロの「P」が震災のために曲を書いたり、メッセージを載せたりしていましたね。

段々とときはたっていきましたが、政府の施策は遅れました。被災地の復興はまだまだこれからです。

震災以来、私自身も変わった気がします。
第一に、現在の政治の話というのがしにくくなりました。
混乱を経て、自分の意見にいまいち自信が持てなくなったし、混乱して意見を持ちにくくなったのかもしれません。その分ブログなどに書く内容に歴史関係が増えました。
震災前からではありますが世の中の無常感というものも感じます。一方で自分は安定・永遠が好きなようです。

1年何をやってきたかと聞かれると答えに詰まります。自分の中でも今日で一つの区切りをつけたいですが、やはり難しい。