「死」によって
繋がりが切れたと感じる。
そこに「悲しさ」を感じる。

だけど
繋がり・絆は、決して目で見え、
手で触れるだけのものではない。
心と心の絆がしっかりと築かれている。
切れたりしない。

34歳で  夫の死を  体験して

それから  必死で   乳幼児を  育ててきた

3人が  小学生になってくれて

ふっと  考える時間が  作れるようになった

他界しても
愛する者の  そばにいてくれている
いつも  一緒にいる

それならば   わたしは

一体  なにが  悲しいのだろうか?

目で  見えないこと?
口で  話せないこと?
手で  触れられないこと?
離れてしまったと  想っていること?

離れては  いないから  それは  違うだろう

上記の文を  見つけた時

わたしは  夫との繋がりが  

「薄くなってしまったと感じていた」

のではないかと  想った

繋がり………

よくよく  考えたら

きっと  

以前よりも  濃厚で  密のような氣がする

夫が  別の向き合う存在で  あった以前とは違い

わたしと  溶け込んでいるような

1体になったような…

声を聴けば  わたしの内側から

答えてくれるような…

触れられなくて  見えないことは

確かに  寂しい

狂ってしまいそうなくらい  辛い

寂しさと辛さ

だけど  

形は  変わってしまったけれど

いっしょにいるから

涙を流しながらでも  空を  見上げる

胸の中の剣

好きな映画


グリーフケアアドバイザー
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