去年の夏あたりに適当に書いて出した作文が最優秀賞に選ばれてしまったらしく、学長命令で強制的に表彰式に参加してきた。
午前中からリハーサルをし、写真撮影やインタビューなんかに答えてから本番。
最優秀賞をとった人は自分で書いた作文を壇上で発表するという苦行が与えられ、さらになほが受賞者を代表して挨拶をしなければならないらしかった。
最悪だ。
自分で書いた文章って、基本人に見られたくないものだし、何らかの評価をされて公表されるという意識があまりない状態で書いていたので、本当にこのブログのような文章を、大勢の前で、しかも自分の声で伝えなければならない。
ほんで、受賞者代表の挨拶も事前に学部長の前で発表して添削してもらってそれを丸暗記して原稿を見ないでやれとか言われて、めっちゃ無理ですやんとか思いながらも、涙目で練習した。
本番、もう死ぬほど緊張するかと思いきや、なんかすごく言葉変かもしれんけど逝った後みたいな感じになって、余裕だった。
自分でもびっくりするくらい落ち着いてて、この度は栄えある賞をいただき誠にありがとうございます(ニコニコ)みたいな、かなり場慣れしている感じになってしまって、逆にうざかったんじゃないかと心配になるレベル。
事前に思い切り緊張してて多分舞台袖ら辺で自分の中の緊張メーターが振り切って、一回昇天か何かしてイってしまっちゃったんだと思う。
本番中ステージでライト浴びながら、賢者モード的な。
笑えるな。
身体中の筋肉が緩みきって、かなりリラックスしながらできた。
とにかく終わってよかったし、良い経験になった。
死ぬほど緊張したときは、こうやって身体が勝手に賢者モードに持って行ってくれる。
そういうことが分かっただけでも、良かったと思える。
授賞式を終えて、秒で自宅まで帰った。
人前に出るのをとことん避けてきた人生だったが、こうやって思いもよらないタイミングで逃げ出すことのできないミッションが与えられる時がある。
モラトリアムが与えられている内に、自分の言葉を大勢に伝えることに慣れておかなければならないと思いつつも、ついそのチャンスを逃し続けていたけれど、今回みたいなことを経験できて少しは自信につながった。
看護研究だって、自分が研究したことを発表して初めて成立する。
何かを極めていくには、発表は必要不可欠らしい。
今回の作文発表を終えて考えたこと。
自分自身、ゆっくりとではあるけれどこの一年で文章を書くということは、イコール人に伝えることなんじゃないかと理解した。
例えば実習中はたくさん看護記録を書いたけど、それも患者さんの状況を他のスタッフに伝えるためだった。
みんなに伝えて情報共有しなければ、日勤夜勤でケアが異なってしまう。
だから、全員が同じだけの情報を知っていなければならない。
また、この一年間図書だよりを作っていてなほは毎回エッセイを書いていたんだけど、読んでくれる人たちがどうやったら最後まで読んでくれるか、活字に慣れていない人たちが興味を持つ始まり方にするには、みたいなことを考えながら自分の意思を織り込んでいく。
これはかなり読み手を意識した、おそらくこんなの初めてだった気がする。
それこそサブリミナルみたいな感じで、一見シンプルに読みやすくしつつ、押しつけでない持論を、誰にも分からないうちに混ぜる。
誰の心の中もストンと納得してもらえるように。
文章を書くことは、同時に誰かに読まれることなんだって、簡単なことだけど、それを今まで知らなかった。
今回の作文の朗読みたいな、そんなわざとらしい場合でなくても、こうやってブログを書くことも、誰かが読んで初めて意味を持つ。
誰かというのは自分も含めて。
やっぱり文章を書くことが好きだ。
内から外へ、その手段としての文章をたまらなく愛している。