楽しみな場所(デパート・遊園地・縁日) | 懐古趣味親爺のブログ

懐古趣味親爺のブログ

幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

最近の子供はデパートへ行こうと言っても少しも喜びませんが、昭和30年代までは子供にとっては楽しみの場所でした。今日はデパートに行くからと言って遊びを断ると、友だちが羨ましそうな顔をしていましたな。

1960年から70年代前半にかけて都会だけでなく地方都市のどこにも存在したデパート。高度経済成長とともに出店ラッシュ。そんなデパートに必ず存在したのが屋上遊園地。家族一緒に出かけ、親の買物の後はオモチャ売場へ。男の子は、ロボット・鉄道・トイガン・ゲーム盤などに釘付けになりました。親のサイフと相談して何かを買ってもらい大食堂へ。チキンライスとソフトクリームが私の定番でした。そして、屋上遊園地に行って遊び、満足な1日を終えるのです。

当時、広島には福屋と天満屋というデパートがあって、福屋にはメリーゴーランド、回転自転車、子供汽車などがあり、中でも人気があったのがロープウェイ。屋上の上を往復するだけのものですが、高層ビルなんてなかったので眺めは最高。天満屋で人気のあったのが観覧車。観覧車そのものは小ぶりでも、頂点に登りつめた時は福屋のロープウェイより高く、見下ろす視線は急角度。高所恐怖症を感じた子供もいたんですよ。豆自動車や回るコーヒーカップといった乗り物ばかりでなく、10円入れて望遠鏡(双眼鏡)で景色を楽しんだり、ドライブゲームで遊ぶのが私の定番。鉄製のスキー用ゴーグルみたいなのを顔にあててのぞき込む、お子様用のぞきからくりもありましたな。パラパラアニメみたいな感じで、ジャングル探検とか童話が立体天然色で展開していきます。少子化や経費削減で屋上遊園地は消えていき、消費の多様性でデパートも少なくなっていきましたねェ。

 

テーマパークを含めて遊園地は現在では大人の楽しめる場所になっていますが、日本で最初の遊園地は浅草の「花屋敷」なんですよ。嘉永6年(1853年)に常設の見世物小屋が軒を並べていたのが始まりとのこと。でもって、私の想い出の遊園地となると、東京で暮らしていた時は「向ヶ丘遊園」ね。小学校に入学するまでは経堂に住んでいたものですから。小学校入学時に東京から広島に移り住み、広島では「楽々園遊園地」ね。海水浴場もあって、夏休みに遊びに行きました。ジェットコースターはまだなくて、最もスリルのあるアトラクションといえばウォーターシュート。水が流れている大きな滑り台をボートが一気に滑り落ちるだけの単純なものなんですけど、船頭がボートの舳先に乗っていて、ボートが池に落ちた瞬間、濡れないようにジャンプするんです。このパフォーマンスはどこのウォーターシュートでも共通のものでした。最近のウォーターシュートは複雑になってきましたが、この手のパフォーマンスが見られなくなったのは寂しいですな。

遊園地に必ずあるのが“お化け屋敷”。薄暗い中に骸骨やお化けの人形が置いてあるだけで、怖いことはなかったです。幽霊に扮装したアルバイトが脅かそうと現れるんですが、小屋の裏でタバコを喫っている姿を見ているもので如何ってことなし。“お化け屋敷”が好きで、どこの遊園地に行っても入場するのですが、ビックリすることはあっても怖いと思ったことはありませ~ん。

 

昔も今も縁日はありますが、それなりに変わってきていますね。出店している屋台は昔の方がバラエティーに富んでいました。それも子供向けのものがね。私が縁日で買ったオモチャで記憶しているのがローソク舟(ポンポン船)です。小さなローソクを立てて走らせるのね。舟の後ろについている管に水を入れ、ローソクの熱で熱くなった湯がふき出すいきおいで舟が前進するという単純な仕掛け。樟脳舟というのもありましたな。舟のお尻の部分に樟脳を付けて水の上に置くと、舟が走り出すんですよ。今でも売っているんだろうか。

大きな神社の縁日には敷地も広いので見世物小屋がでていました。「親の因果が子にむくい…」の口上につられ、怖い、気味が悪い、でも覗いてみたいという好奇心をくすぐるんですな。全身毛に覆われた熊女とか、肌が鱗の蛇女なんてェのは、たいていはインチキなんですが、身体障害者を見世物にした現在では物議を醸すグロテスクなものも少なくなくて、親が許さず、残念ながら私は子供の頃に入ったことがありませ~ん。