大ガマに乗って現れる児雷也は、私が子供の頃は忍者キャラクターとして人気がありました。最近は全く見なくなりましたけどね。江戸時代後期に読本に登場し、歌舞伎の英雄譚として上演され大人気。ガマに変身したり、空を飛んだりと、色々なトリックが使えて映画的題材だったことから、映画創生期の頃、“目玉の松っちゃん”こと尾上松之助が演じて人気をよびます。永田哲郎氏によると、その原型は中国の我来也という盗賊とのことで、最初は自来也だったのが、その名を聞けば小児も雷鳴を聞くほど震えたから児雷也になったとのこと。
『豪傑児雷也』(1921年・日活/監督:牧野省三)
最初の“児雷也”映画。日本映画初期のトリックがふんだんに見られて愉しい作品です。児雷也が空を飛んだり、パッと消えたり、大蝦蟇に化けたりとかね。昔の子供はこれを見て興奮したのでしょうが、今の子供は馬鹿にするだけでしょう。だけど、縫いぐるみの蝦蟇なんてノドカでユーモアに溢れていていいもんですよ。この映画を観て思ったのですが、サイレントの洋画と比べると出てくる字幕が極端に少ないです。これは、弁士がセリフを喋ることを前提に作られているからでしょうね。
『自来也』(1937年・日活/監督:マキノ雅弘)
信州・黒姫城の更科照忠は、五十嵐典膳と矢部軍太夫の裏切りにより佐久間正盛に滅ぼされます。照忠の遺児・太郎丸は正盛によって深山に放り出されますが、ガマ仙人が救出。ガマ仙人に忍術を習い、成人して自来也と名乗ります。自来也は典膳を討ち、逃げ出した軍太夫を追って正盛が権勢をふるっている京の都へ。旅の途中で正盛を仇と狙う綱手姫や、綱手姫に恋慕している大蛇丸と出会い……
千恵蔵さんが歌舞伎衣装で歯ぎしりして力みかえって言うセリフの大時代的なこと。だけど、ガマの妖術で悪人どもをバッタバッタとやっつけるんですから、臭いくらいの演技で丁度いいですな。綱手姫の術は蛇を溶かす蛞蝓の妖術でなく、蛇をからめとる蜘蛛の術。大蛇丸はネズミに化けたりして迫力なし。
『忍術児雷也』(1955年・新東宝/監督:萩原遼・加藤泰)
鯨波忠照(市川男女之助)に滅ぼされた尾形弘澄の遺児・周馬(大谷友右衛門)は、山中で大蛇と闘っている大ガマを助けたことから、謎の老人よりガマ妖術の秘巻を授けられます。周馬は児雷也と名乗って復讐開始。大蛇丸(田崎潤)に乗り移った大蛇の精が行く手を阻みます。児雷也が危機に陥った時、蛞蝓神社の老婆から妖術を伝授された尾形家の重臣の娘・綱手(利根はる恵)が現れ、ガマとヘビとナメクジの三すくみの妖術合戦が繰り広げられます。
萩原遼と加藤泰の共同監督になっていますが、東映での撮影に忙しい萩原遼が加藤泰に応援を頼んだとのこと。萩原遼は加藤泰に全て任せて東映に帰ったので、殆どは加藤泰の撮影で、彼の監督作品といって過言ではありません。
『逆襲大蛇丸』(1955年・新東宝/監督:加藤泰)は、『忍術児雷也』の続編。
大蛇丸は諏訪家の明科姫(嵯峨三智子)に横恋慕しますが、諏訪家には一族の高遠弓之助(若山富三郎)が持つ妖術を破る宝剣があって近づくことができません。そこで鯨波忠照と図って諏訪家を襲いますが、そこに児雷也が救出に現れ……
二部作になっていますが、忠照も大蛇丸も逃げただけで完結になっていません。展開から考えると続編を予定していた感じなのですが、どういう事情で作られなかったのかは不明。とにかく、印を結んでドロンと消えたり、大ガマに乗って出現したりと、古き良き時代の忍術映画です。こんな荒唐無稽な映画は加藤泰には場違いで、監督自身が失敗作と語っています。
それにしても、デビューしたばかりの嵯峨三智子は美麗。それと若山富三郎のデビュー作でもありま~す。
『妖蛇の魔殿』(1956年・東映/監督:松田定次)
家臣の裏切りで更科弾正(片岡千恵蔵)に滅ぼされた尾形家の遺児・太郎丸(植木基晴)は仙覚道人(薄田研二)に救われ、成長して児雷也(片岡千恵蔵)になります。道人からガマの妖術を教わり、両親の仇を討つために更科弾正がいる京の都へ。途中で更科弾正に恨みを持つ綱手(長谷川裕見子)と出会います。綱手に邪心を抱く大蛇丸(月形龍之介)と忍術で対決。しかし、決着がつかず、京にはいった児雷也は北野神社に参詣する更科弾正を襲いますが、大蛇丸が待ちうけており……
1937年の『自来也』をカラーでリメイク。綱手の妖術も色彩を考慮して紅蜘蛛の術になっています。内容は、児雷也対大蛇丸の対決に比重がかかっており、千恵蔵の演技以上に月形の演技が臭~い。龍之介さんのサービス精神に満足、満足で~す。