源義経と弁慶 | 懐古趣味親爺のブログ

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幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

幕末→江戸→戦国ときて、1966年のNHK大河は源平の『源義経』です。原作は朝日新聞に連載された村上元三の小説で、脚本も担当しました。大河より先に同じ原作で東映TVが59年に製作(NET=現:テレビ朝日系列で2月6日~5月1日放送)しているのですが、北大路欣也(主演)のテレビデビュー作というくらいで詳細はわかりません。

NHK大河『源義経』の主演は、当時歌舞伎界のプリンスだった尾上菊之助(現:7代目尾上菊五郎)でテレビデビュー作。大河2作目の『赤穂浪士』に父の7代目尾上梅幸が浅野内匠頭役で出演しており、テレビ進出には抵抗がなかったようです。菊之助の義経は眉目秀麗で、最高の義経といって過言ではありません。

主要キャストは、弁慶に緒形拳。プロデューサーは三国連太郎を推薦しましたが、『太閤記』に続いて2作連続で演出することになった吉田直哉は、緒形拳の演技力に魅力を感じて起用。緒形拳は浪花千栄子(『太閤記』で秀吉の母親役)に、「あんたなあ、秀吉やってなあ、来年また違うもんやるそうやけど、やったらあかん」と言われたそうですが、「自分の中では、秀吉と弁慶は全く違うものだから、逆に演って面白いと思った」とのこと。義経の恋人・静は藤純子。このドラマが縁で二人が結婚したのは周知の通りです。他には、源頼朝は芥川比呂志。藤原秀衡は滝沢修。平清盛は辰巳柳太郎。義経の母・常盤に山田五十鈴。義経を奥州平泉に連れて行く金売り吉次に加東大介。平泉に行くまでに義経の家来になる伊勢の三郎に田中春男、同じく喜三太に常田富士男など。

心に残るエピソードとしては、まず、一ノ谷の合戦の“青葉の笛”ね。笛の名手の若武者・平敦盛が舟木一夫で、敦盛を涙ながらに討ちとる熊谷直実が中村竹弥。民放時代劇の中村竹弥が出ていたので印象に残っています。お次は、屋島の合戦の“扇の的”。那須与一は高橋悦史でした。壇ノ浦の合戦では“義経の八艘飛び”。平家の勇将・平教経(山口崇)が義経の船を目がけて飛び移ると、義経は船から船へと飛び移り、八艘先へ飛び去ります。安宅の関の“勧進帳”では、関守・富樫左衛門尉役で大友柳太朗が出演していたのが嬉しかったなァ。

でもって、一番印象に残っているのは最終回の衣川の戦い。ラストの大立回りは、最近の時代劇より上を行っています。仁王立ちで敵矢を全身で受ける緒形拳の弁慶立ち往生の凄さもさることながら、田中春男の左目に敵矢が刺さるシーン、菊之助の華麗な二刀流、抜き身の刀を取換えながら戦う常田富士男の殺陣など素晴らしいものです。

画像は、♪~一ノ谷吹く、風さむく、吹けば悲しき横笛の~と、舟木一夫が歌う『敦盛哀歌(作詞:村上元三、作曲:古賀政男)』のレコードジャケット。『赤穂浪士』に矢頭右衛門七役で出演して、『右衛門七討入り』というレコードを出したように、これもそれと同じです。ちなみに、ヒットしたのは片面の『銭形平次』ね。

レコードジャケットだけを見ると関係ありそうですが、『源九郎義経(B面:静御前の唄)』はドラマとは全然関係ありません。歌っているのは、当時新人歌手だった三船和子と伊藤鎮也。三船和子はその後知られるようになりますが、伊藤鎮也なんて知らないよ。NHKも宣伝になると思って写真を提供したのかなァ。

 

 

『源義経』に先立って放送されたドラマに『弁慶』(日本テレビ系列で1965年10月2日~66年3月26日放送)があります。原作は富田常雄の『武蔵坊弁慶』で、最初のテレビドラマ化です。主演の丹波哲郎は無頼の豪傑ぶりをみせてグッドだったのですが、太田博之の牛若丸は頼りなく、成長して義経になった大山克巳には華がありませんでした。待田京介が伊勢三郎で、喜三太がジェリー藤尾だったと思うのですが記憶はアヤフヤ。スタジオドラマだったので、丹波哲郎は狭いスタジオセットの中で薙刀を振り回す殺陣に苦労したようです。映像が残っておらず、幻の作品になっていま~す。