スパイブーム | 懐古趣味親爺のブログ

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幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

スパイブームが起こる要因となったのは、1963年に公開された映画『007は殺しの番号』です。強力な悪の組織、秘密兵器、美女という三大要素がピタリとはまり、世界的にヒットします。翌年に公開された『007危機一発』は、前作を上回る大ヒット。危機一髪を一発と書く若者が増えましたな。ブームの始まりです。

ジェームズ・ボンドと並ぶ人気キャラとなるナポレオン・ソロが、テレビ放映に先駆けて65年1月に劇場公開されます。シリーズ第1作の『罠を張れ』ね。65年には『消された顔』も公開されており、ブームが終わる68年の『地球を盗む男』まで全部で8作品が公開。

007は、65年にはシリーズ第3弾『ゴールド・フィンガー』と第4弾『サンダーボール作戦』が公開されます。特に12月21日に封切られた『サンダーボール作戦』は、東京有楽町の日比谷劇場の前はビルを取り囲む長蛇の列。

65~68年に劇場公開されたスパイ映画で記憶に残っているのは、ディーン・マーティンが主演したサイレンサー・シリーズ。『沈黙部隊』『殺人部隊』『待伏部隊』『破壊部隊』の4本が作られています。双葉十三郎氏は、スパイ・アクションを真似たお色気コメディーと酷評。私は好きだったんですけどね。

ジェームズ・コバーンが主演したのが、電撃フリント。『GO!GO作戦』と『アタック作戦』があります。冒険アクション的スパイ映画に対して、米ソ冷戦時代の諜報戦をリアルに描いたのが、マイケル・ケインがハリー・パーマーを演じた『国際諜報局』『パーカーの危機脱出』『10億ドルの頭脳』の3本。当時の冷戦状況を重くシリアスに描いたのが、リチャード・バートンの『寒い国から帰ったスパイ』でした。

スパイや殺しを題名に付ければ客が来ると思ったのか、『おしゃれスパイ危機連発』『消されたスパイ』『スパイがいっぱい』『殺しのエージェント』『殺しのビジネス』なんてえのがありました。『殺しの免許証(ライセンス)』と『続・殺しの免許証』の主人公チャールズ・バインは、ジェームズ・ボンドと同じイギリス情報部のエージェントで00番号を持っているという設定。亜流のB級作品でしたが、撃ちあいシーンや音楽が良くて楽しめました。亜流といえば、ショーン・コネリーの弟ニール・コネリーが主演した『キッド・ブラザー作戦』ね。主人公の兄貴はイギリス情報部の有名スパイという設定。上司がM役だったバーナード・リー、主人公に絡む美女が『危機一発』のダニエラ・ビアンキ、敵のボスが『サンダーボール作戦』のアドルフォ・セリで、イタリア便乗商法もここまでくれば立派なもの。イタリア製スパイ映画は、他にも“ボブ・フレミング”シリーズ(リチャード・ハリスン主演)の『ベイルート作戦危機突破』『殺し屋へ挑戦状』、ケン・クラークが主演した、“007より11倍面白い(惹句)”という『077地獄のカクテル』がありました。監督は、テレンス・ヤングとヘンリー・ハサウェイと足して2で割ったようなテレンス・ハサウェイ。輸出用の変名です。“077”シリーズは、他にも『連続危機』『地獄の挑戦状』があり、全部で3本。

フランスでも、“OSS”シリーズと“虎”シリーズが作られています。OSSは、007以前の57年に『OSSと呼ばれる男』が作られていますが、64年に『OSS117』でスーパーヒーローとして復活。『バンコバンコ作戦』『リオの嵐』と3本作られました。“虎”シリーズは、『虎は新鮮な肉を好む』と『スーパー・タイガー/黄金作戦』の2本。

日本でも当然スパイ映画が作られます。大映は市川雷蔵主演で陸軍中野学校シリーズを66年から68年にかけて5本製作。シリアスなスパイ映画として評価の高いシリーズです。東宝は、世界で最も早く007の影響を受けて製作されたと云われている三橋達也主演の国際秘密警察シリーズが63年から67年にかけて5本製作。シリーズ当初は真面目なスパイアクションでしたが、3作目からは能天気な内容になっていきます。4作目の『鍵の鍵』は、ボンドガールの若林映子と浜美枝が出演していることから、ウッディ・アレンが再編集し、英語に吹き替えて(日本語のセリフとは全然違う)、『What‘s Up, Tiger Lily?』なるパロディ・スパイ映画にしていますよ。

全世界でスパイ・ヒーローのシリーズが誕生しましたが、所詮007のまがい物だった為、短命でしたねェ。

テレビの世界でも、『ナポレオン・ソロ』に始まり、『バークにまかせろ』のエイモス・バークはロサンゼルス市警の警部から秘密諜報員になり、題名も『エイモス・バーク』に変更。30分番組だった『秘密命令』のジョン・ドレイクは、60分番組の『秘密諜報員ジョン・ドレイク』となって復活。『スパイのライセンス』や『アイ・スパイ』といった王道の他にも、スパイ・コメディの『それいけスマート』や、ウエスタン007が謳い文句の西部劇『0088ワイルド・ウエスト』など、領域も拡がっていきます。そして、スパイアクションの極めつけ(本国では7年続いた人気番組)が『スパイ大作戦』(フジテレビ系列で67年4月8日~73年9月27日放送)です。映画の007と同様にブーム後にも製作されますが、作品そのものの魅力で、ブームとしては終焉を迎えます。

スパイ小説が次々に刊行され、007が持っているようなアタッシュケースが売れるというスパイブームを背景にした大人の世界に対して、子供たちのメディアでは、『少年マガジン』や『ぼくら』などの週刊誌や月刊誌で『ナポレオン・ソロ』や『007』などの特集が組まれています。さいとうたかをは、『ナポレオン・ソロ』(冒険王に連載)と『007』(ボーイズライフに連載)を漫画化。しかし、子供たちをスパイに熱狂させることはありませんでした。団塊の世代より5~6年下の世代では、69年にサンスター文具が発売したスパイメモが流行になったとのこと。スパイシリーズとして、秘密通信メモや暗号ノートなども売り出され、友達と遊ぶ玩具として使われたようで~す。