切手ブーム | 懐古趣味親爺のブログ

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幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

1894年(明治27年)3月9日、天皇・皇后両陛下の結婚25年の祝典が開かれた時、それを記念して二種類の郵便切手が発行されました。わが国初めての記念切手です。これを契機に国家の大事があるたびに政府は記念切手を発行。希少価値から使うのが目的さなく、蒐集対象になります。最初はごく一部のマニアだけでしたが、蒐集目的のために多くの人が切手を買ったことがありました。切手ブームね。

串間努:著の『少年ブーム』によると、切手蒐集のブームは、1947年・1952年・1957年・1963年・1970年の5回あるとのこと。1947年は、郵政省が“切手趣味の週間”を制定し、記念切手を発行して切手収集の呼び水にしたことから始まり、1952年には会員役7万人の全日本郵趣連盟を郵政省の保護のもとに結成したことで第2次ブームとなりました。切手の売り上げを増やすために、郵政当局が切手ファン養成のために仕掛けたイベントの成功です。

団塊の世代が切手に興味を持つようになったのは、1957年のグリコのおまけとなった切手から。グリコ・アーモンドキャラメル(10円)の新聞全面広告に“世界の切手をあなたに”のキャッチコピーで、「イギリスの国王は代々熱心な切手収集家です。中でも有名なのはジョージ五世で、王は切手趣味を“王の趣味であり、趣味の王である”といいました」という惹句が子供心に切手集めは高尚なものと思ったんですね。これで、グリコの売上げは2倍になったとのこと。おまけの切手を集めるだけでは足りないので、家に来た手紙やハガキに貼られていた切手を剥がしたものです。切手の貼られた部分を大きめに切り取り、3~10分間水につけると自然にはがれ、切手の裏ののりはよく洗い落とし、吸い取り紙にはさんで水気をとり、最後は本にはさんでしわをのばして終わり。

海外旅行など考えられなかった時代だけに、外国の切手には特別な魅力があり、少年雑誌には通販広告が掲載されるようになります。私も通販を利用した一人ね。切手商人たちは外国の切手商にキロ注文して買い漁ります。

当時、切手を集めていたのは、たいてい男の子でしたね。ビンの王冠とは、牛乳のフタとか、バカみたいな物を集めて喜々としていたのも男の子。男というのは、ただ好きだから集めるのですが、女性となると、自分にとって役立つ物を集めるという傾向がありますな。

珍しい切手が高く売られるのは当然で、子供たちの間で切手蒐集が広まり、百貨店には切手売り場が新設。切手カタログ(現在でも毎年発刊されている)にカタログ評価額が記載され、その価格で発行済み切手を販売していました。「月に雁」とか「見返り美人」は高くてとても手が出ませんでしたが、「ビードロを吹く娘」は無理をして買いましたよ。

57年に発行された切手趣味週間の「まりつき」は発売後2週間で倍の値段で百貨店から売りだされ、記念・特殊切手が発売されるたびに郵便局は大行列になっていきます。蒐集家だけでなく一般人までまきこんだのが1963年のブーム。希少価値から切手が将来値上がりするという風潮で、「とりあえず買っておけば儲かるか」という、大人たちの投機心に火をつけたのです。私の母も、記念・特殊切手が発売される時は朝早くに郵便局に並んで、「額面より安くなることはない」と言ってシート買いをしていました。しかし、切手の値上がりは、特定切手を買い占めて業者たちが値をつりあげていたんですな。記念・特殊切手の発行枚数がどんどん増えて需要と供給のバランスが崩れ、希少価値がなくなるとブームは一挙に消滅。携帯・スマホのEメール時代になり、現在では、切手の需要がどんどん減っているので、いつ行っても記念・特殊切手が買えるようになりました。切手ブームの時に集めたものは所持(死蔵)していますが、今さら蒐集する気はおきません。

画像は、お年玉切手シート。年賀ハガキの“お年玉抽選”の景品です。1950年から末等景品として提供されており、令和から当選番号は下2桁2本から3本になり当選確率がアップ。これだけは記念に毎年1枚保管していますが、年々受け取る年賀状が少なくなり、外れたら止める予定で~す。