ガンブーム | 懐古趣味親爺のブログ

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幼少期(1950年代)から成人期(1970年代)までの私の記憶に残っているものを網羅。

西部劇ブームと同時期に発生したのがガンブームです。西部劇には拳銃が不可欠なので、ガンと西部劇がブームになるのは当然の成り行き。1960年頃から玩具の自由化に伴い、外国のオモチャも自由に輸入していいことになります。旭玩具が海外のガン玩具の輸入を始めたことで、国産品にはない迫真力が拳銃好きの大人を惹きつけました。

アメ横ではコルトなどの西部劇関連のモデルガンだけでなく、ワルサー、ルガー、ブローニング、ベレッタといった世界各国の拳銃モデルガンを展示。その売れ行きに大手筋の輸入業者が目をつけただけでなく、国産品も技術が向上し、各デパートならびに主要玩具店で販売するようになりブームが拡大。メディアも西部劇特集だけでなくガンの特集もします。当時、『ヒッチコックマガジン』の編集長をしていた小林信彦は、ミステリーだけでは全然売れなかったけど、拳銃特集をするとバカ売れしたと何かで語っていました。入門書だけでなく『拳銃ファン』などの専門誌も発刊。

ブームになった背景には日活アクションの人気と劇画人気があったと思っています。東映時代劇が飽きられはじめ、日活アクションが興行成績で東映時代劇を上回るようになります。チャンバラからガンアクションの時代になったんですな。西部劇ブームでも触れましたが、少年雑誌においても時代劇マンガが減っていきます。少年たちも成長するにつれ、従来のマンガには飽き足らず、劇画に魅力を感じていきます。劇画というのは、ストーリー性を重視した貸本屋専門のマンガ。当時は青年コミック誌がなくて、それに代わる存在でした。1959年に関西漫画家同人を中心に“劇画工房”が結成され、そこから劇画と呼ばれるようになりました。さいとうたかをや水島新司などが活躍し、私が好きだったのは、佐藤まさあきの劇画。彼の描く主人公は虚無感を漂わせたクールな殺し屋が多く、既成のマンガにはないものでした。それと、精密な拳銃の描写はガンブームと相俟って私を魅了。

西部劇の好きな少年はもちろん拳銃も好き。モデルガンは高価すぎて買えないけど、少年雑誌で特集するので知識だけはインプットされていきます。コルトがリボルバーだけでなく、ガバメントという自動拳銃を作っているのを知ったのも雑誌の拳銃特集からね。西部劇ゴッコはどちらかというと恰好にこだわるもので、バンバン撃って遊ぶものではなく、少年たちが拳銃ゴッコで遊ぶのは駄菓子屋で売っている銀玉ピストル。

デパートで売っているトイガンは、弾丸がプラスチック製で高く、撃ったら拾う必要がありました。弾丸が貴重品だったんです。それに対して銀玉ピストルは一丁50円~60円で、玉も一箱(100発入り)5円という安さ。撃鉄のかわりにバネを引っ張る後引き金がついていて、引っ張って引き金を引くとピヨヨヨンと玉が発射。玉は挿入口からジャラジャラとまとめて50発ほど入れることができます。最初は一発、一発、引いてはピヨヨヨンでしたが、半年後には連射のできるタイプが登場。ワルサーPPKに似せたものだけだったのが、ルガーやワルサーP38に似せたものまで出てきます。当たっても痛くはありませんが、確実に弾丸で撃たれたことはわかるので、楽しく遊べたので~す。